回春院の山門と本堂の本尊文殊菩薩(中央)と開山佛覚禅師像(右)

由緒:建長寺開山大覚禅師、蘭渓道隆の語録に「深山幽谷の面々は春に廻る」という言葉があります。幽谷山・回春院は、この言葉に因んだものです。

鎌倉五山第一位建長寺の塔頭のひとつで、その背後には、手付かずの広大な谷戸が残されております。その寺領は8300平方mを越えます。

その寺領内には、多くのやぐらがあり、また、江戸時代まであったとされるかっての回春院の跡地もあります。

元々、蘭渓道隆の鎌倉の谷戸を背にした建長寺の伽藍全体の構想に中国の禅寺作りが取り入れられており、現回春院の本堂前の大覚池は谷戸から流れる湧き水を溜める第一のため池として土木的な意義を持っていました。(建長寺の方丈池は第二のため池と思われる)

回春院は建長寺21世玉山徳セン(王ヘンに旋)佛覚禅師)の同寺を退院後に塔所として回春庵として創立されたのが始まりです。
玉山徳セン(1255−1334)は信州の人。若い頃より建長寺開山、蘭渓道隆を師と仰ぎ、建長寺の住職となりました。

本尊の文殊菩薩坐像は17世紀の作品とされ、佛覚禅師の像と並んでおられます。

本堂前の大覚池には大亀がいる、との伝説が「新鎌倉誌」に記されています。

現住職:高井志堂

幽谷山・回春院へようこそ


大覚池の再生復興の提案

回春院の俳句

サファリへ

はじめに

1011-12月)

回春院での句会(波の有志