幽谷山・回春院、その魅力は知恵と力で甦る

今、鎌倉は世界遺産への登録を目指している。

それとは、直接に関係なかったが、意外な経緯から、建長寺の塔頭のひとつである回春院の幽谷谷戸と大覚池の復興を、全くプライベートに友人や住職と話している内に、それとの接点も出来てきた。

色々な遺産価値をもつ幽谷山・回春院。この荒廃した谷戸と池を、どのような形で保全管理するか、いささかこの世界遺産への運動とベクトルを合わせられ、良き形になれたら幸いである。

鎌倉は源頼朝の開幕(1180年)から、執権の北条高時が新田義貞に攻められて自害し、鎌倉幕府の滅亡(1333年)まで、150年余の間、日本の政治の中心であった。

幾多の政争に勝ち、体制を固めた五代執権の北条時頼は、南宋から来日していた蘭渓道隆と接し、その教えである禅宗に深く帰依した。

そして、建長寺を創建し(1253年)、その開山として蘭渓道隆を招いた。

鎌倉五山の第一位として、厳しい修業を課する南宋の禅を取り込み、武家政治の精神的な柱作りを果たした。

一方、以前は地獄谷と呼ばれた、刑場跡に建てられた建長寺は、開山の設計で南宋の寺院様式が取り入れられて、その鎌倉の谷戸に独自の「ため池」を配し治水、治山を意図した先進的土木事業でもあった。

<鎌倉市のパンフレット>

建長寺の後ろの勝上嶽からの撮影・左奥には鎌倉市街と由比ガ浜も望める


はじめに」へ戻る

次頁へ