私が生活しました、タンザニアの首都ダルエスサラームは南緯6度で、インド洋に面した美しい港町です。ほとんど、赤道直下の海沿いですから、高温多湿の気候でした。四季はなく乾季と雨季がありました。

吾子生まる蝶群舞する病院で

これは現地で次男が生まれた時の句です。
この年は、実は蝶が異常発生したのです。白い蝶で、先が見えなくなるくらいの密度で飛んでいるのです。どうしてこんな現象になるのか、知りませんが、その年だけでした。その少し前には毛虫がそこら中を歩いていました。
病院は、アガ・カーンホスピタル、イスラム系の慈善病院がありました。海に面している白亜の二階建ての建物でした。この病院では、私たちがいた五年間で、日本人の子供が6−7人生まれました。

当時、タンザニア国内には、100人程度の日本人が駐在していました。その多くは海外青年協力隊の方々で独身者でした。  家族は10家族くらいでしたが、私も含めて、子作り盛んな年代が主体でした。

少し当時のタンザニアでの生活のお話をいたします。

われわれは電気も無い一般の部落とは違って、外人向けのフラット(四階建ての集合住宅)に住んでいました。因みに電灯線の普及率は、まだ1%以下でしたので我々は例外的です。
ガスはありません。全ての煮炊きは電熱です。

上下水道はありましたが、水はそのままでは飲めません。飲み水には苦労しました。
水は濁っておりますので、飲料には、一昼夜かけて、セラミックでろ過します。それを、沸かして、そして、冷やす。それを冷蔵庫に保管して、飲んだり、料理に使ったり、氷にしたりするのです。

家庭では、掃除などはハウスボーイが、そして子供の世話はアーヤ(子守)が致します。ハウスボーイは立派な男の職業です。アーヤは女性です。他に弓矢を持った門番を共同で雇っていました。

私は会社へ車で行きますが、時には、朝早く浜へ行き、水揚したばかりの魚を漁師から買います。魚だけでなく、えび、かに、烏賊など豊富でした。立派なロブスターもありました。マグロは一匹買いです。そのまま、自宅へ戻り、後の始末は家内の仕事です。家内は料理だけはハウスボーイにさせず、自分でしていました。

ですから、刺身もあるわけです。ところが醤油は現地では、手に入りませんので、赴任時に、卸問屋から手に入れた一斗缶を五個、船便で持ってゆきました。最初は良かったのですが、次第に時が経てば、温度にもやられ、最後にはソースみたいになりました。

<浜の仲買のおじさん→>

バケツ持ち潮干へ子等と日を過ごす
                                                                              

朝涼し椰子影の指す水平線

近くにサンゴ礁の浜があります。テレビ放送は無く、ラジオは聞いてもスワヒリ語で分かりませんので、時々近くの海に行きます。そこで、磯遊びしたりして、のんびりと過ごします。
サンゴ礁の海岸ですので、磯溜まりには熱帯魚やら雲丹やら磯巾着やら、いろいろと生き物がいます。

ここから、私の貝の、特に子安貝の、収集が始まりました。それらは貝のHPには紹介しています。

浜風やサリーの集う夕涼み

この浜には、ほぼ毎日、比較的裕福なインド系の人が車で集まってきます。みな着飾って、インド洋に向かっていつまでも話していました。彼等はイギリス時代、主に、東アフリカの鉄道の敷設するための労働者として移住したようです。タンザニアの独立直後、彼等はイギリス、インド、タンザニアの中から国籍を選ぶ必要がありました。そして、この浜にいる人たちはタンザニアの国籍を選んだのです。タンザニアの流通、すなわち、商店はほとんど彼等の経営でした。こうした集まりは情報交換の場でもあり、インド洋の夕日を見ながら、様々な感慨も有るようでした。

時をかけ黒檀を彫る日除け小屋

タンザニアの芸術としては、マコンデ族の黒檀の木彫りがあります。マコンデ族は顔などに入墨を施す風習があるのですが、見事な黒檀の木彫りの作品を生み出します。
90年代にタンザニアを再訪問した時には、一箇所にこのマコンデの木彫りは集められていたが、われわれが居ました70年代は、道路沿いの掘立て小屋で硬い黒檀をこつこつと作っていました。
当初は信仰の対象だったのかもしれないのですが、抽象的な力強い作品が多く、ある本に寄れば、ピカソなども強く影響を受けたと言われています。

蟹走る奴隷積み出し港跡

ダルエスサラーム近くのバガモヨです。19世紀に盛んだった奴隷を積み出した港町です。アフリカの奴隷がここに集められて、船に積み込まれました。今でも遺構として残っておりますが、バガモヨはスワヒリ語で「この場に心を残す」と言う意味で、奴隷たちの悲痛な声が聞こえてきそうです。

象亀は人のせゆっくり夏野ゆく

アフリカ本土から少し離れたザンジバル島の更に小さな無人島へ行ったときの事です。
この島には象亀がおりました。大人が乗っても意に介さない感じで悠々としておりました。
その島だけでしか見えませんでしたが、良い見聞をしました。


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