8〜9日目(2月9〜10日)
部屋からの日の出を是非見て欲しいとホテルマンが薦めていた。タイと国境を接する東の山並から朝靄を抜けて見事な朝日が昇る。部屋から遥かに眺めれば、改めて、緬泰の国境は山だけだと認識する。第二次大戦時の作戦はこの辺りで行われていた事を思うと、平和裡に訪問できる幸せを感じる。

托鉢が始まる6時頃にゴールデンロックの参道に出れば、多くの僧侶が老いも、若きも列を作って並び歩いている。托鉢は直接に食物などを壺には入れないようだ。安全面など考慮しているのかも知れない。また、ガイド氏によれば、予め、特定の僧へ寄進する人が決まって、その僧は直接その家に出向き、待っている家人から托鉢を受けると云う。

昨日のトラックで山を下り、専用バスでヤンゴンに戻る。途中の道路脇には西瓜やザボン、水代わりに食べる芋などを売る屋台が多く出ている。その内のザボン果樹園に立ち寄り採れたばかり実を食べた。ここは政府の直営店で、季節を通じて、果物を直売している。今回の旅では、このザボンと西瓜が一番に美味しかった。
ヤンゴンに入り、スーチー女史の家の前で一時停車する。テレビで映された、大きな邸宅のあの門が、兵士に護られていた。ヤンゴンのこの周辺は軍人などの大邸宅が多い。

次に巨大な寝仏で名高いチャウッタージー・パヤーへ行く。大きな屋根の下に全長65mの寝仏が祀られている。1907年に完成したが、数十年のうちに状態が悪化したために、1966年に信者たちが修復をして、その時に5mを加え、その修復は信者の寄付で賄われた。
この寝仏は古都バゴーの寝仏と大変によく似ている。早とちりで、このバゴー寝仏を訪問したとばかり思っていた。撮り集めた写真とネットで見つけた写真がとても似ているのだ。古都バゴーの寝仏は994年にモン族の王によって建立されたと考えられている。13〜16世紀には王都となり、下ビルマの中心として栄えた。しかし、18世紀半ば、最後のビルマ族王朝となるコンバウン朝の開祖、アラウンパヤー王によってバゴーは征服され、今日に至っている。巨大な寝仏は994年にモン族の王によって建立されたと考えられていて、背面の台座にはその物語が描かれている。バゴー王朝の滅亡でその存在も忘れ去られ、やがて、密林に覆われてしまったが、イギリス植民地時代、鉄道敷設の視察のために来たインド人技術者により偶然発見された。
チャウッタージー・パヤーの堂内にもそれを物語るような写真が展示してあったので、すっかり勘違いをしてしまった。このチャウッタージー・パヤーの寝仏のサイズも表情もほぼ同じだ。わざわざバゴーの寝仏と似せたのだろうか?信仰の篤い豪商が私財を投じて同じ像を作ったのだろうか?彼の像も脇に置かれている。それとも、他に理由があるのだろうか?涅槃仏とは違い、釈迦の説法の姿勢が寝釈迦(仏)で、東を向いているので天に説法している。因みに、「西を向いているのは休憩のため、南は人への説法、北は入滅の意味がある」とガイド氏の解説。

ヤンゴン市内のマーケットを歩く。宝飾屋など老舗が多く、軒を連ねて一つの屋根に覆われている。金細工やルビー、翡翠、真珠の人気が高く、店に中国語の看板が多い。あたかも春節で、それを祝う赤い提灯がいっぱいに飾っている所は中華街らしい。(日本人町も規模は小さいながらもあるらしい)
観光の最後はヤンゴン随一の聖地、シュエダゴォン・パヤーへ向かう。20年前の軍事政権時代に一度この寺院を訪問したことがある。
この仏塔の歴史は、今から2500年以上も昔に遡る。ひとつの言い伝えは、インドで仏陀と出会って聖髪をもらいうけ、この地に奉納したのを起源とする。今一つは、釈迦および釈迦以前にこの世に現れた3人の菩薩の遺体の一部が納められていると信じられていることから重要な聖地とされる。いずれにしても古い歴史を有するこの寺院は、度重なる拡大で、大小合わせて60余りの塔に囲まれた大パゴダとなった。
前回来た時には歩いて登ったが、今回は他の外国人観光客と同様に、南参道口からエレベータで一気に登り、境内に出た。目の前に聳える金の仏塔の上半分は修復のためにカバーが掛けられているのが残念だ。433mの基底部の周囲をゆっくりと半時計方向に回って、自分の誕生曜日の仏に水を掛けて願をかける。ミャンマーの伝統暦は八曜日で、通常の曜日に水曜日は午前と午後がある。私の誕生曜日は日曜で、方位は北東、支配星は太陽、象徴となる動物はトリ(ガルーダ)となる。
多くの善男善女が大理石の敷き詰められた広場で座って祈りを捧げている。60余の塔はお堂にもなって、釈迦像が祀られている。それぞれ信者が集まり手を合わす。あるお堂では僧侶が周囲の雑音にも惑される事もなく瞑想している。ボランティア活動なのか、箒を手にした団体が一斉に列をなして掃除をしている。市民の憩いの場、ミャンマーを代表する観光の場をそうして守っているという。
多くの仏像は殆どが釈迦像で、日本のように薬師、大日、阿弥陀さんは殆どない。菩薩像も極めて少ない。脇侍としての守り獅子や武人は見るが・・・
ミャンマーには墓参は無いと云う。墓も極めて少ない。死後七日で魂は釈迦のもとへ辿り着くので、親族の縁は切れるので墓参りの意味はなく、お釈迦様に祈ると云う。輪廻を信じるから、現世に功徳を積んで来世も良い人に生まれ変わるのを信じている。上座部仏教(南伝仏教・小乗仏教とも云う)はインドからスリランカへそしてミャンマー、タイなどへ伝播した。王族や貴族だけの仏教がこうして一般人にまでの宗教となった。
一方、北伝仏教は大乗仏教ともいわれ、庶民をも含めてだれでも信じられるように、それぞれの土地の習俗に溶け込んだのだろう。日本の神仏習合もそのもっともたるものかも知れない、と勝手な解釈をしている。




シュエダゴォン・パヤー観光を終えて、夕食を済ませ、ビーチサンダルから靴に履き替えてヤンゴン国際空港を発った。
整然と青葉青葉のゴム林 顔白く刷いてザボンを売る女
寝仏の目もと涼しく化粧濃し 釈迦悟りしあの菩提樹の挿し木とや
灌仏の人の絶えざる聖地かな 坊さんの腕に刺青手に日傘
電飾の釈迦の光背ちと暑し あたたかや釈迦にかしずく日曜日