7日目(28日)

 早朝の出発で、ボートで一時間ほど掛けてインレー湖を北上してニャウンシュエまで一気に飛ばす。ハイスピードで湖面を飛ばすために、まことに寒い。救命具を胸に当てて風を凌ぐが、ボートの先頭に座ったためにまともに風を受けた。


片足立で櫓を操りながら、早朝の伏せ網漁の場へ

上陸したニャウンシュエではドライバーが待っていて、ヘーホー空港へ向かう。途中に何やらパトカーや兵士が見えて、警備が厳しくなってきた。空港でヤンゴン行きの便を待っている間に、アンサンスーチーさんが来ているためと分かった。タイからの要人と会ったためか、タイとミャンマーの特別機が空港に駐機している。スーチーさんがこの地を訪れていたのだ。我々の便の後にスーチーさんの特別機は飛ぶらしい。少数民族の衣装を着こんだ歌舞団が滑走路の敷地へ向かって、その内、練習のためが、銅鑼や音曲が待合室にまで聞こえる。思わぬハプニングが良かった。

この国のスーチーさんの人気は高い。ミャンマー人として、ノーベル平和賞を受賞し、且つ国家の最高顧問として大きな権力を持っている。市場や料理屋などのカレンダーには彼女の姿が載っているものが殆ど。ある料理店で見せて貰ったが、12ヶ月全ての紙面がスーチーさんの写真だった。

国際的にスーチーさんがご苦労している人権問題、ロヒンギャについて、我々の質問に答えてくれた元外交官のガイド氏の解説。

<ロヒンギャはバングラデッシュの公用語であるベンガル語で「日帰り出稼ぎ者」という意味で、以前からミャンマーに働きに来ていた人は多かった。日が暮れると国境を越えて自宅に戻っていた。しかし、次第にミャンマー側に住み着く人が増え、やがて、集落にまでなった。イスラム教の信仰から、一夫多妻や食の問題などで地域のトラブルを惹き起こす事が頻繁になり、衝突が起きた。そのため、元のバングラデッシュへ逃げて難民となっているが、実際は戻っただけだ。マスコミは避難民に焦点を当てて、ミャンマーは悪役のようになっているケースも多いのは残念だが、もとに戻っただけだ。>

参考にバングラデッシュの情報として、狭い国土(ミャンマーの1/5)、人口(ミャンマーの3倍)、貧困(一人当たりのGDPはミャンマーの1/3)と記されている。

スーチーさんの特別機と歌舞団

 ヘーホーから空路で1時間余りでヤンゴンに到着し、待っていた専用バスで仏教聖地のゴールデンロックへの麓、チャイティーヨーへ行く。そこから、荷物は乗って来た専用バスに残して、一泊に必要な手荷物だけを持って、トラックで山頂へ登る。狭い急峻な山道を左右に揺られながら約1時間かけて登り切る。山頂には車を停めて置く場所がないのだ。トラックが登り切ると、荷物運びや人運びの強力たちが仕事を待っている。(ガイド氏が頑張って、我々4名とガイド氏の5名はトラックの荷台ではなく運転席に乗ったが、それでも運転手を含めて6人、ぎゅうぎゅう詰めの状態だった)

 ゴールデン・ロックはチャイティーヨー・パヤーと云って、ミャンマー人の憧れの巡礼地だ。巡礼者の寄付によって貼り付けられた金箔に覆われた巨大な花崗岩の頂上に、高さ7.3mの小さなパゴダが乗っている。伝説によると、ゴールデン・ロックは仏陀の遺髪の上に載せられたらしい。岩は今まさに丘を転がり落ちそうな状態に見え、あたかも重力を否定しているかのようである。岩を押せば少しながらぐらつくらしい。ミャンマーではヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ、マンダレーのマハムニダ・パゴダに次ぎ、三番目に重要な巡礼地であるらしい。

残念ながら、今年は3年に一度の修復の時期に当たって、ロックはカバーに覆われて見る事が出来なかった。山頂には広い平地があって、さながら、遊園地のように賑わい、多くの人が祈りに訪れて、黄金の丸い岩の前は香煙が絶えない。男は近づいて、金箔を貼る事が出来るように修復の覆いの隙間を開けている。女性はここも入る事はできない。足元の危うい工事の足場を伝わる様に、私も黄金岩に触れた。信者の中にはそのまま夜明かしをするべく、家族連れで簡単な寝具を用意している人たちもいる。勿論、誰も素足だ。

  
修復中で見えなかったゴールデンロック(カタログから) 実際に見た小型のゴールデンロックと供物のゴールデンロック

ホテルは岩山にへばりつく様に建てられているので、部屋の配置が不規則にできていた。

 

     凍返る朝の快速無蓋舟       白鷺の楚々ぶり集う春田打ち 


      歌舞団の国母歓送あたたかや    春夕焼け巨石の纏う黄の衣 


        金箔を剥げば黒なり春の月      金箔の実椰子とバナナ供えけり

  「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME