4日目(2月5日)

 早朝便でミャンマー第二の都市マンダレーへ移動する。ガイド氏の話では、「バガンは奈良、マンダレーは京都、そんな感じです」との事。イギリスに占領される1885年までこの国の最後の王朝が置かれていた。旧王宮の南西部は整然とした碁盤の目状の町並みで、東西南北を走る道路には全て番号が付与されている。

着後、空港近くのウー・ベイン橋へ行く。
マンダレー周辺では18〜19世紀にかけて何度も遷都が繰り返された。この橋のあるアマラプラもそのひとつで、もうひとつの旧都インワから遷都したときに、さびれたインワの旧王宮からチーク材を運び新都アマラプラの東に広がる湖を渡るために全長1.2kmのこの橋を架けた。160年近く前に造られた木造の橋が、修復を重ねながら現在も使われている。途中に何カ所かの屋根付きの休憩所が設けられている。雨季には橋の下まで水に浸るが、乾季の今は豆やひまわりの農地となり、水辺では食用ガチョウが群れをなしていたる。
そんな風景を求めて観光客も多いのか、橋の入口には土産物屋が並ぶ。この日は橋の上で、のどかな田園風景をバックに結婚写真を撮るカップルもいる。


 同じアマラプラにある国内最大級、最高位のひとつマハーガンダーヨン僧院を訪ねる。全国からの1500人の僧侶が修行生活を共にしている。10時からは彼らの托鉢があり、その後の食事をする様子も見学できる。
たまたま、僧院内のメイン道路を舗装修復工事していて、タールが敷かれたばかりだった。その上、春節休暇の中国からの観光客で溢れていた。そんな訳で、托鉢は通常とは違うやり方の様だ。食堂の入口に30人ほどの女性が僧侶の壺に食物を入れていた。食堂内での席は決まっている。
少し離れた厨房には、薪を使って大きな釜で飯を炊いて、汁を大鍋で作って忙しい盛りだった。この僧院を設立した高僧ベンザナカビウンタの住居跡や彼の偉業をたたえる仏塔がイワラジ河畔にあった。

 次のマハムニ・パヤー仏塔(1784年頃建立)はマンダレー最大にして最も重要な寺院とされている。お堂に収められた仏像へは金箔を購入して、思いおもいの場所に貼りつけて寄進できる。女人禁制のため、女性は前に設えられた場に座って祈る。他の寺院でも女性が金箔を貼る事はならない。(仏の瞑想を邪魔するからと云われる)

 その金箔を作る工房を見学した。若い男がハンマーで叩いて金を延ばし、女性たちが無風状態の部屋で油紙の間にその箔を挟む。寺院で1000K(約100円)を寄進して仏さんの膝に貼った。

盲目の託す琴の音涼しかり 

  素足して少年僧は菩提樹下  

     金箔を貼る男らの守宮めく

マンダレーヒルからパゴダ、行政府、監獄(丸い建物)、ゴルフ場、遥かにイラワジ川   夕陽を待つ多くの観光客

王宮の建物群

木造のシュエナンドー僧院に施された見事な装飾

クドードォ寺のパゴダと白い仏塔(世界遺産)

片陰や城壁わきの撮影          炎天の王宮赤きトタン屋根

         避雷針つけ総彫りの屋根飾り 

仏塔の胎に経典蝶が出る        仏塔の先に刑務所春の川

昼食後に王宮へ行く。ミャンマー最後の王朝となったコンバウン朝の王宮で、一辺約3kmの正方形を成す敷地を高さ8mの城壁が囲む。要所に物見の塔があり、その周りは幅70mの濠が囲んでいる。

 

仏歴の2400周年の祝祭の機に、「まさにこの場所に偉大な都市(仏教の都)が現れるであろう」というブッダの予言に従って、ミンドン王がマンダレー丘のふもとにマンダレーの町を建設した。その王宮はアマラプラからここマンダレーへ遷都したミンドン王が1857年から4年がかりで完成させた。しかし、1885年にイギリスが占領し、王をインドに追放し、ここを軍の施設とした。王宮の財宝はイギリスに持ち去ってしまった。1942年には日本軍に占領され、その後の日本軍と英印軍との戦いで王宮は焼失した。当時のままに残っているのは城壁だけだが、王宮の建物群がネ・ウィンによって再建されて、今は観光客にも開放されている。往時の栄華を偲ぶ美しい建物だが、そのほとんどがトタン屋根。当時としては最新のモダン屋根だったとの事・・

 

そんな言われがあって、マンダレーには仏像造りが多い。大理石が近くに採石されるのだ。中国やタイへからの注文が多いのだろう。

(隣接する中国の雲南省には大理石の名前の由来となった地名「大理」がある)

 

王宮に隣接するシュエナンドー僧院は木造の僧院で、建物の外壁や内側、屋根や入口などの彫刻に手が込んでいて、ミャンマー最高の傑作と言うべき見事な装飾が施されている。建物の外側の彫刻は木彫のために風化で傷んでいるものも多い。ミンドン王はここで、亡くなった。

 

次に向かったクドードォ寺には、パーリ語で記された石版をおさめた729の白い仏塔が、中央の金色のパゴダを囲むように整然と並んでいる。1860年にミンドン王が2400名の僧を集め「世界最大の仏典」を作ろうと大理石の石版に刻む作業をさせた。仏典の内容によってそれらを納める小仏塔の位置を決めて8年をかけて完成させたと830番目の石版にその凄まじい突貫作業の経緯が刻まれている。ガイド氏によれば、パーリ語による仏典の全て一字の間違いも無く記憶していた学僧がいたために石碑と塔が出来上がった」との事。この729枚の石版は世界遺産に登録されている。

 

夕日を眺めに標高 236 メートルのマンダレーヒルに登る。ここで、ミンドン王の所縁の丘で多くの観光客に混じって僧侶たちも来ている。マンダレーの町を望めば、ゴルフ場や刑務所や官庁街があり、その先のイラワジ河に沿うように造られている。ここでも低い山並に沈む太陽を満喫した。

マハーガンダーヨン僧院の朝10

ウー・ベイン橋にて

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マハムニ・パヤー仏塔にて金箔を貼る男性の信者たち