1日目22日)

 空路、成田より直行便(ANA)でミャンマー最大の都市ヤンゴンへ向かう。ヤンゴン空港は新しく国際線ターミナルが出来て建物は広々としているが、滑走路は国内線と兼用で手狭の状況のようだ。試験的に日本人には今年はビザ申請が不要になり、入出国も楽になる。ミャンマー時間の午後4時半に遅れなく到着し、通関を終え荷物を転がして出れば、ガイドのHさんが旅行社の看板を掲げて待っていた。早速に中型専用バスに乗ってヤンゴン市内のホテルへ直行した。そこで、旅鞄を部屋に収めて、そのまま近くの屋台食堂へ案内された。

 屋台の様なミャンマー料理だが、カレー風味の料理よりビールとつまみのナッツが旨かった。

 ミャンマーの交通事情は極めてユニークだ。車は日本とは反対で道路の右側を走るが、走っている車の殆どは日本車のために、ドライバーも乗客も不便を強いられる。特にバスの場合は車道側に乗客は出入りをするので、極めて危険な状況を作る。以前は日本の中古バスばかりだったが、最近は韓国や中国製のバスが走って、この危険な問題に対処しているようだが、その数は少ない。我々の乗った専用バスも日本製で乗降の都度、ドライバーが車道側の扉の開け閉めをして、走行車から守ってくれた。

微笑みと安らぎの国ミャンマー<201922日〜10日>

<はじめに>

 ミャンマーは二度目の訪問になる。前回は2001年にPHS-mouグループの一員としてヤンゴンの郵政関係者や電信業者を訪問した。

今回の観光は秘境への充実した旅作りを提供しているS旅行社のコースに申し込んだ。昨年11月にも他の大手旅行社に申し込んだが、人数が揃わないとの事でキャンセルされた。

この旅は参加者が4名、添乗員なしで、現地の日本語ガイドと併せて5名の身軽な旅だった。現地の日本語ガイドのHさんはかっては在日本ミャンマー大使館での勤務があり、日本の原付免許も持っている。年齢も60代のベテランで、28年間ガイドを務めていたとの事。どの訪問地でも顔が広く、話も面白かった。

因みに、ミャンマーの人口は日本の半分の5500万人、国土は日本の2倍の67万平方キロm。宗教は人口の90%が上座部仏教であるが、信教は自由。2006年に首都はヤンゴンからネピドーへ遷都されたが、多くの大使館は未だに移っていない。旅程にネピトーへの訪問は含まれない。日本との時差は2時間半遅れる。

<ヤンゴンの屋台風レストランにて>

安着しビールで先ずは乾杯す     週末の夜店や家族連ればかり

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