8〜9日目(331日〜41日)

この日は約250kmを走り首都イスラマバードの空港を目指す。途中でカラコルム・ハイウェイの記念碑に立ち寄る。主要都市までの距離が英語とアラビア語?で記されたマイルストーンもある。カラチまで1825q、北京まで5425kmと書かれている。北京を記しているのが面白い。

昼食後、街道で何度も出会った「デコトラ」の飾りを請け負う工場を訪ねる。この文化は是非パキスタンの伝統にしてもらいたいと思うほど手が込んでいる。中には日野やいすずのトラックもあり、この装飾だけでもン百万円もするらしい。最も、このトラックで国境を越える事は出来ないとガイドB氏の話だ。町ではデコバス、デコダイハツ(タクシー)もあり、華やかだ。

逃げ水の先は山越え中国へ       街中に晒すインド機春寒し 

    インドへの道は険しく雪解けず         割礼の話あれこれ冴え返る 

モスクへと向かう遠足飾りバス       花見時なれど断酒の一週間

「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME

カラコルム・ハイウェイの記念碑(↑2枚) 
↓ デコトラの職人

パキスタンがインドからイスラム国家として分離独立した1947には首都はカラチに置かれていた。カラチはパキスタンの南端で気候も暑すぎるので、1958年にイスラマバードへ遷都した。人口は150万人(2015年)で更に膨らんでいる。

その首都イスラマバードに入れば、官庁街や大使館街、会社街、学校、病院、高級住宅街などが整然と建てられている。更なる、都市の拡張、地下鉄、新空港などの工事で活況を呈して、近代都市づくりを急速に進めている。

スーパーマーケットで少しの土産(杏オイル、岩塩など)を買った。店内をひとわたり見ても、もちろん、酒も豚肉、そして、魚も無かった。

買物の後、世界最大のモスク「シャーファサイル・モスク」を外から眺めた。内部に15000人、外の庭に85000人が一度に礼拝できる広大なモスクで、これは、イスラマバードへパキスタンの首都が移った記念に、サウジアラビアのファイサル王が寄進した。

←シャーファイサル・モスク
モスクの駐車場にてデコバス↓

帰国便に使われたタイ航空では些かトラブルがあった。

最初はイスラマバード空港でのチェックイン時にトラブル。120ルピーを現地通貨で支払えと云う。空港税が変わったらしい。「現地の通貨は全て使ってしまった」と云えば、「外貨は駄目だ。両替所で替えろ」と云われる。しかし何処にあるかも知らず、そんなこんなで揉めていたら、一緒に旅した仲間がポケットから数人分を出してもらって、助かった。

次は乗り換え地、バンコクでは日本行きの乗継便が既にクローズされて、空港内で6時間程待たされた。ラウンジを提供されて、断酒していたアルコールを久しぶりに飲んで、うつらうつらの状態で過ごした。帰宅は深夜を過ぎての最終便のバスだった。

いろいろとあった。イスラム教の敬虔な信者で日本語堪能なガイドのBさんから、これまで知らなかった興味深いイスラム世界の話を聞くことができた。

そして、何よりもフンザの素晴らしい人々とその景観は忘れられない。