近くのホテルで昼食して、上部フンザ・ゴジャール地区の中心地、グルミットを歩く。この辺りは標高2000mだが、平坦な肥沃の地で、18世紀末頃までは、フンザの人々の夏の放牧地だった。後にワハーン回路(アフガニスタンから中国にかけての高原地帯)のワヒ族(現在、タジキスタン人など中央アジア人)が移り住むようになった。アガ・ハーン財団による教育支援により識字率は90%を超え、フンザと同じ回教のイスマイール派を信仰する村。イスマイール派はイスラムの戒律も緩やかで、女性の社会進出なども積極的に推進している。村全体に杏の花が咲き誇り、正に桃源郷を歩く感じがする。ゆきかう女性たちはたれも美人で民族衣装ヒジャブを身に着けている。住民のワヒ族はとても開放的で頼めば、写真も撮らせてくれた。

数人の女性だけで絨毯刺繍をしながら、売っている家を訪ねた。石や木材を積んで漆喰で家壁を塗り固め、天井から外の光を入れる独特な家造りの民家で、機織をしている。旅仲間の数人が3000ルピー(約3000円)ほどの小型の敷物を購入していた。

村の広場はポロの競技場と聞いて驚いた。ポロは、世界で最も古い歴史をもつ競技の一つで、紀元前6世紀のペルシャを起源とし、騎馬隊の軍事訓練としてインドやこの辺りへ伝わり、古来より馴染んでいたという。英国で近代ポロのルールは決まったが、この村でも競技が毎年行われると云う。この日は少年たちがポロ競技場でクリケットをしていた。

カリマバードに戻り、町を散策した。花や人々は素晴らしが、曇り空はなんとも鬱陶しい。

    4日目(327日)

 窓からフンザ・カリマバードの郷が良く見える。杏の花が真っ盛りで、旅行のタイミングは最適だったとは思うが、薄曇り空で山々は見えるのだがくっきりとしない。

 この日は先ず、ハセガワメモリアルスクールを訪問する。1991年、ウルタル峰(7388m)登攀中に雪崩に遭遇して43歳の若さで亡くなった、登山家・長谷川恒男さんの遺志を引き継ぎ、夫人の昌美さんが設立された学校で、フンザに数ある学校のなかでも非常に教育レベルの高い学校と云われている。彼はパキスタンの山をこよなく愛していて、もし自分の身に何かあったら土地の人のためになることをして欲しい、と遺書を残していた。この学校では生徒数は約1000人、男女共学で小学校・中学校・高校と5年、3年、2年の10年の教育を一貫して受けることが出来る。パキスタンには義務教育は無く、また、一般の公立は男女別々が多いと云う。

 全校生徒の朝礼に参加したが、日本式の校長先生の挨拶、国旗掲揚などが全て英語で進行した。訪問客を歓迎するとかで、我々は壇上に招かれて紹介され、更に、子供たちの歓迎ダンスや歌もあった。学校施設や授業風景にも案内され、また、校長先生との30分ほど話す機会もあった。いずれは大学教育も手掛けたいと話されていた。長谷川恒男さんの写真の前に基金箱が置かれていたので些少の寄付をした。素晴らしい訪問になったが、S旅行社のツアーは全てにこの学校訪問が組まれているので、観光シーズンになると、これが毎日の様にもなり、生徒たちの負担が多いのではないかと、少々気にはなった。

上部フンザの上品な老夫婦(扉は夫婦の家の入口) ↑

パスー氷河↑         バトゥーラ氷河の残したモレーン↑

↑ポロ競技場でクリケットしていた少年たち    ↑絨毯織りの女性たち

登山家の遺志継ぐ子らや木の芽風       うららかやカメラ向ければ子ら集う 

  あんず咲く桃源郷の老夫婦           春なれやポロの広場でクリケット 

機織りは女子の糧や春灯            じゃが植えや先ず牛糞を揃え置く 

  畑鋤くや白きヒシャブに乱れなし         巣離れのカササギ真青に羽搏けり

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ハセガワ・メモリアルスクールにて歓迎の朝会↑        低学年クラスを参観↑

学校を辞して、カラコルム・ハイウェイを更に北上する。途中、アッタバード湖に立ち寄る。2010年に大規模な地すべり災害が発生し、渓谷内を流れるインダス川の支流フンザ川を堰き止め、天然ダムを形成し、更に雪解け水の流入により水位が高まり流域の村々が水没した。、ダム湖には沈んだ村の家やポプラの木などが水面からいくつか見える。2015年にトンネルが造られ新たな道路が開通し、中国との交易の最も重要なパイプに復した。

 我々のマイクロバスはトンネルを通過後、パスー氷河、バトゥーラ氷河に到着するも、曇りのために背景に聳え立つ山々の景観は殆ど見る事は出来ない。パスー村の標高は2540mで、ここから中国の国境までは115kmの距離の近さという。バトゥーラ氷河は57qの長さで極地外では5番目の長さを誇ると氷河案内板に記してあった。氷河自体は遠くにそれらしきが見えるだけだ。ただ、この氷河の後退で、灰褐色の巨大なモレーン(氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように堆積した地形)が近くに聳え立ち、地球温暖化のひとつの姿を感じざるを得ない。

↑アッタバード湖に沈んだ家が今も残る