3日目(326日)

 ペシャムからカラコルム・ハイウェイを更に一日かけて目的地のフンザの郷・カリマバードへ北上を続ける。インダス川を常に横に見下し、ヒンズー・クシ山脈とカラコルム山脈の険しくも細く曲がりくねった道路で今ツアーでは最大の長丁場だ。カラコルムとはトルコ語で「黒い礫」という意味とか、ハイウェイの大部分はパキスタンのギルギット・バルティスタン州(旧称:北方地域)を通っている。この道は、古代シルクロードを結ぶ通商路でもある。ハイウェイの距離は中国ウイグル自治区のカシュガルから、昨日通過したウサーマ・ビン・ラーディンが殺害されたとするパキスタン・アボッターバードまで約1,300kmで、パキスタンおよび中国政府により建設され、20年をかけて1978年に完成した。ガイドB氏は「これは新世界八不思議として巷の俗説」と話している。

 この日は朝から銃を持った警官がバスに同乗した。この地域はパキスタンが実効支配しているとは言え、インドも領有権を主張している。今は停戦協定ができているが、インド、中国も絡んだ紛争地域のカシミール地方の一部でもある。また、アフガニスタンの国境も近く難民を多く受け入れている。

観光目的の外国人の安全警護は多くの観光資源を持つこの国の将来への大切な仕事なのだろう。警察官にも担当区間があり、途中で10人ほどが交替した。時には、数人のポリスが乗った機銃付きの先導車が付くこともある。また、強行突破できないように道路に障害物を置いていたり、チェックポイントで乗客の名簿などの提示も求められたりしていた。兎に角、安全に海外からの観光客が過ごせるように万全な警護がされている。

 

マイクロバスを先導する護衛車(屋根は機銃付)      チェックポイント

 次第に渓谷は深くなる。バスの片側は石と土の山が迫り、反対側はインダス川が遥か下に見える。ガードレールは無い。曲がりくねった道での揺れの激しさに私の万歩計はカウントを進めていた。

 出発して3時間程したところで、落石による道路封鎖があった。現場では懸命に石の除去をしているのが、遠くに見える。そんなことに慣れたデコトラなどと待つこと一時間ほど、その間、工事現場主任やデコトラの運転手と歓談したり、別の車でカラチからやって来た家族が我々の車に乗り込んで、写真を求められたり、楽しい交流の場となった。フンザから来ている工事現場主任は英語が上手で、我々の事を興味深く色々と聞いてきた。時おり彼のトランシーバーから、中国語による会話が聞こえる。共同で作業しているようだ。彼の通訳でデコトラのドライバーとも話が出来た。このデコトラは日野の大型トラックを飾り立てた見事な車で、運転席の扉には大阪の運送会社名がはっきりと残されている。書かれている内容を解説したら、ドライバーは大いに満足していた。

中国土木のヘルメットの工事現場主任と日野トラック改造のデコトラ(ドアーには大阪の運送会社の名前)

アザーンの一声ありて囀りぬ        春寒し銃で守られ辺境へ 

  長閑けしや俺のデコトラ日本製       道開くを長き車列の遅日かな

 カレーとチャパテの昼食を済ませ、山奥へ更に進む。途中に検問所があり、パスポートの提示と新たな入境審査があった。イスラマバード空港と同様に顔写真を撮られた。しかし、ツアー客に対する信頼なのか、審査が短時間で済むように便宜を図ってくれた。
 その後も銃に守られながら、目的地の桃源郷を目指す。トイレ休憩とビューポイントで車を停める以外は、遅れた時間を取り戻すべく只管走る。日暮れ後のカラコルム・ハイウェイは道路照明が無く危険なのだ。
 そして、フンザの中心地、カリマバードの宿へ到着したのは21時だった。長時間の安全運転をしたドラバーへ拍手して宿に入った。ドライバーは、この後、屋根からスーツケースを丁寧に下して乗客だけでなく荷物の安全も確保した。この晩から3連泊なので安堵する。(この日の走行距離は420km)

カラコルム・ハイウェイにて

山羊急ぎ車ゆるゆる雪解峪 

   春空を狭める峡やカラコルム

富士よりも高き丘とや山笑う

「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME