3日目(1030日)―②

その次は中国の歴代の皇帝らによって収集され、北京の紫禁城(故宮)に保管されていた歴史的文化財を保存、展示する博物館の故宮博物院を訪ね、1時間半の急ぎ見学をする。ここは現地ガイドの得意分野らしく、見どころを説明して、有効な時間だった。

清朝の滅亡に伴い、紫禁城に所蔵されていた美術品などが、戦火や日本軍を逃れて、北京から上海、更に南京へ移動された。日本軍の南京進軍で、所蔵品は更に分散して避難した。第二次大戦後は重慶を経由して、南京、北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、5000箱以上を台湾に運び出した。この為に台湾博物院は、1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文化財の組織的破壊から、貴重な歴史的遺産を保護するという役割を担った。

ここに所蔵されている目玉の一つは清明上河図で、北宋末期の翰林待詔であり、画家としても著名であった張択端(中国語版)の作品とされる。清明の時節の、都の東京開封府の内外の人士が行楽して繁栄する様子を描いている。季節は、春たけなわであり、その絵画的な精細描写の価値とともに、当時の市街図や風俗図として、極めて資料的価値も高いものである。

明代以降、この画巻の名声を受けて画題や構図などを継承し、同名の画巻が数多く描かれた。大別すると3つの系統に別れ、一つは張択端の真作の系統、二つ目は明代の画家仇英が描いたとされる蘇州の風景を描いたもの、3つ目は乾隆元年(1736年)12月清代の宮廷画家5人が共同制作して乾隆帝に献上した作で、現在台湾の故宮博物院に所蔵されている「清院本」と呼ばれる系統であるらしい。

 20年以上も前に浙江省は杭州の中国美術学院の学長が模写したものを、現地で請われて買ったことがある。その原本が見られると大いに期待していた。ガイドたちが土産物店へ行く時間を使って、絵画のフロアーを探したが見つからず、最後に、この日は展示日ではなかったと博物館員の説明で判明した。

今一つの見ものは「翠玉白菜」でこれは見ることが出来た。手のひらサイズの小さい翡翠彫刻だが、半分が白、半分が緑の原石を巧みに白菜の姿に彫り出した。更に緑の葉にはバッタとキリギリスが彫られている。このように原料本来の形のみならず、色目の分布をも生かした玉器工芸は「色(しょうしょく)」といい、硬玉が中国に普及する清朝中期以降に流行した。清代に本作と類似した作品が数例あるが、そのなかでも翠玉白菜は、新鮮な葉の息吹まで感じさせる瑞々しい造形や、白と緑の対比や緑の濃淡差によって小品とは思えないほどの深い奥行き感をもち、色のなかでも最も完成された作品の一つと言われている。この彫刻の作者は伝わっていない。

この彫刻は、元々は光緒帝の妃である瑾妃の住居、永和宮(紫禁城中)にあった。瑾妃が嫁いだ1889年に初めて世に現れたことから、瑾妃の持参品と考えられている。

1911年の辛亥革命で清朝が倒れてからも清室優待条件により清室の私産は清室によって所有されていたが、192411月に清室優待条件が修正されると清室所有の美術品は民国政府に接収され、その後紫禁城跡に作られた故宮博物院の所蔵品となった。

故宮博物院を終えて九観光へ向かう。台湾語では一般的に「九」とは「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」の意味という。その昔、その九は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。

1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市 (A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったことにより、九は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九ブームが起こった。ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。

また、世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。

宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったが、ジブリ・宮崎により公式に否定されている。しかし、この映画の登場する「カオナシ」の人形や仮面を付けて歩く人も多い。

の名物の芋料理で夕食を済ませ、紅灯の揺らぐ石段の町を暫く散策する。若い女性で溢れ、スマホカメラで撮りまくっている。日本のジャニーズ事務所タレントなども来たという。山間の鄙た町おこしの成功例なのだろう。

杭州にて購入した「清明上河図」の一部

紅灯の揺らぐもののけ山は秋       宵闇や漁火はるか輝度増せり

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目指す絵の展示日違え穴惑い      凝視する小さき玉石秋燈下 


           名工も鳴かし得ぬなり螽斯

の夜景

翠玉白菜(↑) 漢字原型を記した銅鼎(↓)