食後は台北市内観光。次に訪ねた蒋介石総統を祀る中正記念堂では衛兵交替が正に始まる直前だった。中正紀念堂は、中華民国の初代総統である蒋介石の活躍を讃える為に建てられた記念施設であり、台北101、故宮博物院と並ぶ台北の三大観光名所である。

蒋介石の本名が「中正」で、台湾では「蒋中正」と呼ばれることが多い為に「中正紀念堂」の名称が採用された。本堂は高さ70メートル、面積15千平方メートルとで、中国大陸がある西向きに設計された。敷地全体は25万平方メートルと広大で、劇場やコンサートホール、庭園や池も併設。国民の憩いの場としても親しまれている。

1975年に蒋介石が87歳で逝去した際、行政院(日本の内閣に相当する機関)の意向で建設が計画され、蒋介石の90歳の誕生日である19761031日に竣工。死後ちょうど5年目にあたる198045日に一般開放された。メインフロアの奥には巨大な蒋介石の銅像があり、その前には儀仗兵という銃を肩から下げた衛兵が数名いる。1時間ごとに行われる、軍靴を鳴らして規律正しく行う衛兵の交代の様子が有名である。

蒋介石は有能な政治家であり、今でも台湾の通貨には蒋介石の肖像が彫られているが、「中国本土の中国人」であるという彼のアイデンティティが台湾で摩擦を生んだことも少なくなかった。

1947年の二二八事件やその後の戒厳令等、台湾で台湾人と中国人の対立が起こった際、蒋介石は常に中国人側に立った。中国でのやり方を台湾で踏襲した為、独裁者的なイメージも多い。2007-2009年の一時期に起こった「台湾正名運動」(台湾する本土化する運動)の際には、名称が「台湾民主紀念館」に変更され、蒋介石像は布で覆われ隠された事がある。

中正紀念堂は中国・北京の天壇を模しつつ、伝統的な中華思想と現代建築を融合した斬新な作りとなっている。

本堂の屋根は上から見ると八角形になっていて、これは儒教において推奨される8つの徳、八徳(忠、孝、仁、愛、信、義、和、平)に由来する。また、漢字の「人」という字が天に向かって重なっているようにも見えるよう設計され、天と人が一つに調和し、何事もうまくいくという「天人合一」の中華思想を表現。また、ひさしが二重になっている構造を中国では「複簷」と呼び、この「複」と「複」とをかけて、中華の復興を意味している。

色についても工夫されており、屋根の瓦は青色、壁は白い大理石、そして紀念堂前には中国の伝統的な図案による花壇がある。これは「自由、平等、博愛」を象徴し、中華民国の国章でもある「青天白日」を象徴。更に地に満ちる赤色を表現している。

また、蒋介石自身に由来する設計も多い。本堂には合計84段の階段があるが、正面にある階段5段を足すと合計89段となり、蒋介石の享年89と一致する。また、階段が三方に分けられているのも、蒋介石の掲げた「民権、民族、民生」の三民主義を表している。それにしても、こんな巨大な個人像はワシントンのリンカーン大統領にしか知らない。そして、高雄の中正紀念堂からは将介石像は取り払われたとも聞いた。

次に向かった忠烈祠は辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、中国大陸での日中戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、日本統治時代は台湾護国神社が当地に建立された。

 その跡地に1969年に創建された。ここでも衛兵交代のセレモニーが丁度行われるところで、効率よく現地ガイドが案内して呉れた。衛兵交替が観光の目玉なのはどこも同じだ。全くの個人旅行ではこのように、時間調整は取れないだろう。

3日目(1030日)−@

中正紀念堂(↑)と忠烈祠(↓)の衛兵交替

谷底の秋天まさに台湾島

   岩盤を穿ち噴き出す秋の滝

垂直の岩に穂草の風に揺れ

   燕はや帰り岩穴動きなし

衛兵は男が宜し秋の雨  

 石床に響く軍靴やそぞろ寒

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 晴天に恵まれ、朝一番はタロコ(太魯閣)峡谷へ向かう。台湾で最も人気の高い自然国立公園だ。立霧渓(川の名前)によって、3000m級の山が浸食されて大理石の岩盤がそそり立つ大渓谷。日本統治時代の台湾総督府が国立公園に指定し、その後、戦後の中華民国統治下に東西横貫道路が多くの犠牲者を出しながらこの渓谷を貫通した。今では多くの観光客がここを訪ね、ハイキングしたり、時には、マラソン大会なども企画されている。

素晴らしい景観の入口から車で入り、時折、見どころで車から降りて、ダイナミックな峡谷を眺めたり、歩いたりして美しくも峻厳な景を楽しむ。工事犠牲者を祀る中華風の祠が滝の噴き出る岩板の上に建っている。などが目を楽しませてくれた。今も大きなトンネル工事も行われている。見える岩肌は大理石との事。

その大理石を砕石して研磨する工場の訪問が組まれている。あまり興味も無く連れていかれたが、丁寧な説明で分かりやすく工場を案内してくれた。「玉と石の違いは、光を透すか透さないかで決まる」などは実際に目の前で実験がされて、理解することが出来た。「工場にはミャンマーやフィリピンからの出稼ぎが多いが、作業はコンピューター化されて、寝ていても出来る」とガイドの女性が工場を巡りながら話してくれた。この時には工場の稼働は止まっていたので静かで、話は良く通った。

太魯閣渓谷にて(渓谷の入口↑ と 工事犠牲者の慰霊の祠↓)