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<仏歯寺の夜景>

2日目(107日)

宿泊地キャンディは遷都を繰り返したシンハラ王朝が16世紀末にたどり着いた最後の都。1815年までの300年間は首都として繁栄して、それからイギリスの植民地となった。王権の象徴である仏歯を祀る仏歯寺があり、今もスリランカ人の信仰を集めている。

最初の観光はキャンディより南に位置する標高1900mの高地ヌワラ・エリヤへ向かう。イギリス植民地時代には避暑地として栄え、ゴルフ場やホテルが当時の面影を遺しているが、何と言っても、セイロン紅茶の茶畑がその丘陵地帯に広がる事で有名だ。当初はコーヒーの栽培をこの地に試みたが失敗。インドのダージリンやアッサムから紅茶の苗を移植して今のセイロン紅茶の基盤を作った。山肌を緑一色にする茶畑がこの地の景観。気温も年間通して15度前後と、キャンディよりも10度以上低く過ごしやすい。

ここでは、茶畑で体験茶摘みをする趣向だった。「それぞれの茎から最初の2枚の葉を取る」と教えられたが、思うように進まず、結局は笑顔の茶摘み女へ収穫物の籠を渡して、この慣れない仕事から解放された。それでもバスに揺られた身体のストレッチには良かった。

農園内の精製工場を見学し、紅茶を試飲したりして高地での時間を過ごした。紅茶はこの国の最大輸出商品なので品質には政府の管理が行き届いている。

青山河いく筋も畝うねらせて 


斜面とて手捌き速き茶摘かな 


人生は茶摘みよ婆の皺深し 


万緑や展望車両の揺れ激し 


   仏歯への静かな祈り夕涼し

<列車からの景→>

<鉄道沿いの茶摘女たち↑>

<セイロン紅茶の産地:ヌワラ・エリヤ>

町の小奇麗なコッテジで昼食を済まし、帰りは列車で4時間掛けて高地ヌワラ・エリヤより古都キャンディへ下る。植民地時代には茶の輸送が主な目的で敷設された由、今では界隈に住む人たちの足にもなっている。
 赤色の国営列車輌の最前部、すなわち、ジーゼル気動車のすぐ後ろに、青いプライベート車輌が連結されて、そこにツアーの観光客が乗り込むようになっている。少し割高なのだろうが、展望デッキもあって乗降客も少ない。揺れは可なり大きいが山間を縫う快適な列車の旅を楽しんだ。
 単線なので、途中の駅で上下線が行き違い、その僅かな時間を身なりの整った水売りなどが線路上を歩いて売りに来る。他の途上国で見たような必死の物乞い的ではなく、余裕を持っての態度で、豊かさを感じる。

混雑を避けて、キャンディのひとつ前の駅に到着して列車の旅が終わった。待っていたバスに乗り込み、キャンディ湖畔に建てられた仏歯寺のライトアップなどを観ながらホテルに戻った。