夏空や親日国へ直行便 



椰子越えて驟雨に濡れし滑走路


 
冷房効くコンコース行くサリー嬢

1日目(106日)

成田から9時間半の直行便でコロンボのバンダラナイケ空港へ現地時間17時過ぎに到着。時差は3時間半、日本より遅れている。

世界で最初の女性首相名を冠したこの空港には40年前に日本からタンザニアへの飛行で途中給油のために着陸した事がある。深夜の着陸に、滑走路を示す灯りに油が点々と燃やされているのが機窓から見えた。また空港建物はとても小さく、深夜便の機内から一時解放されたの眠たい旅行者を相手に免税店が数店あるだけだった。

今回は到着してボーディングブリッジでは南国特有の蒸し暑さを感じたが、空港建物内は冷房の効いた近代的な国際空港になっていた。入国手続きも簡単。ここで、現地人スタッフと会う。

現地のガイドは日本語コンテストで優勝し、その後、日本政府の資金援助で世界一周航海を日本の若者たちと過ごしたとかで、大変な日本贔屓。日本の援助で出来た道路や建物(国会議事堂も)を説明する時には「サンキュウ・ジャパン」と口にしていた。

空港から更に中型バスで3時間半ほどかけて宿泊地のキャンディへ向かった。その途中には夕暮れ時の町々の様子が窓外に見える。三輪自動車がとても多く、普通車の隙間を縫うように忙しく走っている。街道沿の店舗は賑わい、そして、品数が豊富な様だ。それぞれの町々には高さ3〜5mの仏陀像が照明を浴びて人々の生活を見守っている。

ガイドの話では、50年前の日本と同じような世界ですとの事、そういえば、日本でも昭和30年代には三輪車のミゼットがヒットして、値段も今のスリランカと同じ30万円程度だったと記憶している。当時の大卒の初任給も同じように2万円ほどだった。

セイロン島の中央に位置するキャンディの洒落なホテルに着いて、先ずは移動の長い一日が終わった。

「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME

着陸態勢の機窓景とバンダラナイケ空港

スリランカ

<はじめに>

ギリシャ人の船乗りが、インド洋に浮かぶ島の名前を「偶然に見つけた美しさ」を意味するSerendipityという言葉が語源となって、「スリランカ」となった、また、古代スリランカ王の特使が古代ローマ、ペルシャ、エジプトなどを訪問している。これは現地で購入したガイドブックの冒頭に記されている。

北海道より小さなこの島国には多くの観光資源がある。しかし、2005年までは四半世紀に及ぶ内戦でこの観光資源を生かし、旅行客を呼び込む状態ではなかった。その内戦が治まって10年を経て、治安は安定したので、2500年もの歴史文化の遺産、魅力的な海岸線やサファリなどの自然に加えて、親日的な国柄に触れる機会を狙っていた。これら要素をコンパクトにまとめたツアーを見つけて参加した。参加者は6名、それに日本からの添乗員と現地の日本語ガイドと彼の助手、そして、バスの運転手、合計10名がミニバスに揺られての旅だった。