翌18日、ツアー最後はパレルモとモンレアーレの観光。前の日までのガイドは新しいフランスからの20人のツアーに付くために、ツアー社は代理のガイドを送ってきた。彼はアルバイトか見習いガイドで、英語が話せない。何とも不幸な出会いになった。しかし、ここは現地の専門ガイドが付くので、史跡の説明は十分だった。
パレルモ旧市街では17世紀に造営された「四つ角」交差点。スペイン人によってバロック都市計画の一環として造られ、交差点に面した四つの建物の角を縁取りした面には三段ずつの人物装飾が彫られている。朝の通勤の車やオートバイ、それに、観光客で猥雑としている。

歩いて、16世紀の噴水があるプレトイア広場を見ながらメルトラーナ教会を訪ねる。入口は人数制限もあって行列が出来て、手前で少し待たされる。12世紀の創建だが、内部はバロック様式に改築されて、壁や天井には見事な宗教画のモザイクで飾られている。「キリストから王冠を授かる王」などイエスの絶対的な力を示す。

次に訪ねたパレルモ最大のパラティーナ聖堂は12世紀の創立。18世紀まで柱廊など幾つかの建物が付け加えられた。内部は金色のモザイクの宗教画で装飾されて、多くの観光客を魅了する。「キリストの生涯」や「聖ペテロと聖パウロの生涯」が中央の「祝福を与えるキリスト」を囲むように壁に描かれている。この聖堂の床モザイクに12の星宮や、入口の柱に残ったイスラムの紋様などがこの聖堂の歴史を物語っている。
このインパクトも次に訪れたモンレアーレの大聖堂に比べて弱いものと直ぐに分かる。
車に戻ってパレルモを出て石灰岩の山へ向う。30分して到着したモンレアーレは12世紀後半のノルマン時代にベネディクト派修道院を中心に発達した町。今は修道院と同時に建てられた大聖堂を始め、美しい自然とバロックを残す独自な家並でシチリアを代表する観光地となった。聖堂内部はどの方向にも目を届かせている「全能のキリスト」が中央にあって、新・旧約聖書の代表的な物語が二段になって両翼の壁の上位に描かれている。柱も壁も全て眩しい金を主体にしたモザイクの宗教画で覆われている。写真撮影も許されていて、1ユーロで二分間だけモザイクへ明かりが灯る便宜すら用意されていた。聖堂内で床モザイクを修理している白髭の人がいた。「今朝、聖堂を裸足で歩いて、わずかな異常を見つけたので・・」とガイドの質問に答えながら細かい色石を扱っていた。
面白い事に、現地のガイドは創価学会員の女性で、イタリア支部で活動をしていた。



これで、正規のツアーは全て終わった。この後はホテルに戻って昼食し、午後は20ユーロのオプションでパレルモを望めるペッレグリーノ山と美しい海水浴場のモンデッロへ行く予定にしていた。ところが、ミラノからの老夫婦が行かない事になって、我々3人では行かないとドライバーとこの日、急遽、変わったガイドが言ってきた。今までのガイドとは違い押しの利かない男なので、話にならない。折角のチャンスを逃すこともないで、3人で5人分の100ユーロを提示して半日観光へ行く。ベッレグリーノ山にはサンタ・ロザリア
教会が岩山の洞窟にあり、奇跡を起した聖女の墓の上に建てられた。ここからは直接にパレルモの都市を眺めることは出来ないが、途中の道路からは素晴しい景観を楽しめた。

その後、パレルモ人の人気の海水浴場モンデッロへ行く。白い砂浜と青い海とガッロの岩山は実に美しい。わずかな海水浴客が遊んでいる。約一時間の自由行動で、海を眺めて、シチリア生まれのアイスクリーム・ジェラートを舐めながらテラスで時間を過ごした。
夕食はミラノの老夫婦と最後の食卓を囲み、「チンチン!」「乾杯!」とワインを交わして最後の宴となった。言葉は通じないが笑顔が印象的なご夫婦だった。
翌12日は、早朝にタクシーを呼び、パレルモ空港へ向う。途中に交通事故での処理で狭い道路に渋滞もあったが、時間の余裕もあったので、ローマ行きの便には十分に間に合った。
ゲーテはナポリからシチリアは先ず4月2日にパレルモへ上陸した。パレルモを馬車で離れたのが18日だから、2週間以上も滞在し、シチリアの著名人と多くの出会いを記している。その間にモンレアーレやサンタ・ロザリオ教会を訪ねている。
その後、我々とは反対に反時計方向にシチリア島を巡って、メッシーナまで馬や騾馬でやって来て、5月14日に再びナポリへ向けて船に乗った。
<四つ角の角壁面→>
<床モザイクの星宮の一部→>
<モンレアーレの大聖堂の内装飾のモザイク>
<岩窟教会の内部と聖女ロザリア(この下に遺骨がある)>
<モンデッロの浜>
聖体の金色あまねし春の燭
ゼウスからデウスへ蛇は衣を脱ぐ
爛春や神殿めざす飾り馬車
「チンチン」と交わす「乾杯」春満月

