翌16日は三連泊のホテルからの移動となる。青麦の田園風景を抜けて、内陸のピアッツァ・アルメリーナへ入り、ローマ皇帝の別荘と云われる「ローマのヴィラ」へ向う。3-4世紀の築と推定されるこの遺構には見事なモザイクの床が施されている。1920年代に発掘されて、今はガラスの鞘堂が出来ている。
丁度、修復中の為に、多くのモザイク部分がシートで覆われて、入場料金は半額の3ユーロだった。それでも隙間から美しいモザイクが見えるようにもしてあり、観光客の入場を許されていた。そこには当時の生活、戦、狩や漁、神話などが26の部屋の床に色も鮮やかに描かれている。中でも「10人の少女の部屋」には、ビキニ姿の女性達の遊戯が今のフィットネッスの様な闊達さで描かれている。作業の埃で白けているが、その一部が修復シートの破れ目から覗けた。磨き上げた床は、買った本で楽しむ事にする。それでも幾つかのテラスのモザイクを歩き見て、また、踏んだ。

この後、近くのホテルで昼食する。ステーキの炭火焼が美味い。いつもワイン付き、今日は赤。7人で二本は昼食には丁度良い。

昼食後、車はシチリア南部の海岸線の道路へ入り、西へ向う。タンカーにとって地中海上で至便のこの辺りは欧州一の石油精製を行っているとのガイドの説明。シチリア経済の向上を考えての政策らしいが、自然と遺跡の破壊もあり、ガイドは不満を云っていた。山側には風力発電扇が所々に立っている。ダムを造るような川も気も無いので水力発電はないし、火力発電よりましなのだ。そんな説明をするガイドは二ヶ国語の繰り返しで移動中も忙しい。

車は海を望めるギリシャ神殿遺跡アグリジェントへ入る。ここでも現地ガイドが付く。ところが、時間になっても、約束の現地ガイドが現れない。日を違えていたらしい。代わりのガイドを調達したために、40分ほど入口で待たされた。ライセンスを持った現地ガイド以外は史跡説明できない仕組みになっている。ともあれ代理のガイドと、「神殿の谷」と呼ばれる東端の丘に立つゼウスの正妻女神ヘラの神殿遺構へ上る。アーモンドと食用サボテンの囲む神殿からは、崖下には古代ギリシャの埋もれた植民都市が望め、黄色い草花が一杯に咲き、また、地中海がその右手に広がる。

驚いたことに、ここでは女子オリンピックが行われていたとのガイドの説明。アテネの古代オリンピックは女性禁制の男子だけとなっているが、ここシチリアでは女子の徒競走が行われ、この神殿で表彰されたそうだ。

ヘラの神殿からは緩やかに下りながら、最も原型をとどめる女神コンコルディア神殿、8本の柱だけを残す最古のヘラクルス神殿(紀元前8世紀)を巡る。他にもいくつもの遺構が続き、正に、ギリシャ本土のようなドーリス式の「神殿の谷」だ。崩れた石柱の断面にはU字型の溝があり、綱をここに掛けて運搬したり、積み上げたりしたと、ガイドは想像図を示し説明してくれた。動力は人力で、多くの奴隷がこの苦役で使い捨てられた。

夕方、海沿いのホテルに向う。夕食には相変わらずシチリアワインが付き、また、上質なデザートも女性には嬉しい。ただ、どこでもワインとガス入り水と自然水は必ずテーブルに用意されるが、コーヒー、紅茶は付かない。特別注文になるのだ。所変われば習慣も変る。


モザイクを嵌め込む石工薄暑光

マーガレットつつむ埋もれし古代都市

神々の丘や青き実アーモンド

青麦の広野のうねり戦跡

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<ローマのヴィラの遺構と床モザイクの女性>

<昼食の前菜はリコッタ・チーズとトマトを載せたパン>

<神殿の谷からアグリジェントの町を望む>

<女神ジュノー(ヘラ)の神殿>

221年前の4月23日にゲーテはこの地に入って五泊した。当時、この町はシチリア語のジルジェンティとなっていた。イタリア語ではアグリジェント。「今朝の日の出に見たような美しい春の眺めは生まれて以来未だかって出会ったことがない。(略)宿の窓からはかって栄えた町の遠く広いなだらかな傾斜がみえ、それが農園と葡萄畑ですっかり蔽われて、その緑の下にむかし人口稠密だった市区の痕跡があろうとは思われないほどである。ただこの緑濃く、花咲き匂う平原の南端にあたってコンコルディアの神殿が聳え、その東にはジュノー神殿の若干の廃址が見えるのみである。」と感激している。この文章では、写真のジュノー神殿は廃址として記され、現在のように立っていない。