13日、ビュッフェスタイルの朝食後、チェファルへ向う。車窓からの曇天の海は残念だが、ガイドの話は晴れた日のティレニア海の青のすばらしさを強調していた。
チェファルの街を望める見所からは突き出た岩山と聖堂を中にレンガ家並が美しい。先史時代に遡る歴史のある街だが、この佇まいは十二世紀のノルマン時代の姿を最も残している。
石畳の細い道で街に入り、聖堂広場へ徒歩で向う。総選挙の最中で選挙ポスターが大きく壁に貼られている。聖堂はバジリカ様式が基調だが、内部はビザンチンの金色のモザイクが眩しい。アラブ風の化粧アーチもあり、重層する歴史を物語る。
その他、中世の洗濯場や海への出口など、ゆっくりと石造りの街を歩く。
宿はタオルミーナ近郊で紀元前8世紀にギリシャ植民地が建設され、今は海水浴場にもなっているジャルディーニ・ナクソス。この日から3連泊になる。家族連れやヨーロッパからのツアー客も多いコテッジタイプのリゾートホテル。オレンジの白い花が実を付けたまま咲いている。
ところで、このオレンジの果汁は真っ赤。美味なので毎朝食前に飲んだ。身体にも良いらしい。遠くに望むエトナ山は雲と噴煙で山頂は隠れていたが、三日目に姿を見せた。
対岸は霞むイタリア靴の先
春星やイオニア海を航く灯
階段の路地や鉢植えシクラメン
火の山の遠くありけり花蜜柑
<チェファルの町を望む>
<チェファルの聖堂とその内部後陣のビザンチン・モザイクのキリスト>
<メッシーナからイタリア半島は直ぐそこにある>
<ジャルディーニ・ナクソスの宿からエトナ山>
フルコースの昼食を摂って、次の訪問地はイタリア本土に対峙するメッシーナへ向う。シチリアの玄関だ。ギリシャの植民地からの古い歴史を有する町だが、ここの地盤は脆弱で、何度も地震に見舞われている。1783年の大地震とそれに続く津波で壊滅的な打撃を受け、1908年の大地震と第二次大戦禍で前世紀は二度も瓦礫と化した。都度、再建を図って街は美しいが建物は新しい。聖堂も12世紀の創建を建て替えたものだが、唯一広場の噴水は16世紀のオリジナル。
1787年5月にメッシーナを訪れたゲーテのイタリア紀行(相良守峯訳)に以下の記述がある。「メッシーナが遭遇した未曾有の災害では、一万二千の住民が亡くなり、残りの三万人には住むべき家がなかった。大抵の家屋は倒れてしまい、残った家も壁がこわれて、中にいるのも不安な状態だった。(略) 住民はこのような状態でもう三年間も住んでいるので、この露天生活、小屋生活、否、天幕生活は彼らの性格に決定的な影響を与えている。あの未曾有も災害に対する驚愕、それに同様な災禍がふたたび起こりはしまいかという恐怖は、むしろ楽天的な気持ちで刹那の享楽を楽しむように彼らを駆り立てているのである。」
今でも、イタリア半島とこの島は年に一センチ広がっている由、この海峡に橋を作らない一つの理由なのだ。
<オレンジの木と赤い果肉>
ともし