シチリア島:ギリシャ文明と神話の世界

ゲーテの「イタリア紀行」によれば、1787年4月2日に彼はナポリより三本帆柱の軍船で、嵐の中を4日間かけてシチリアのパレルモへ到着している。その221年後のほぼ同時期に、我々は成田発ローマ経由で20時間を掛けて到着した。この時期のシチリア島は極上の季節の姿を訪れる人々へ見せてくれる。

今回の旅の同行者はイタリア事情にやたらと詳しい同世代の親戚のM氏。塩野七生の「ローマ人の物語」を始め、イタリア関連本に通暁し、未だ行かない街角までも諳んじている。そんなガイドみたいな人と一緒で、多いに地中海史の興亡を見知る事ができた。上記の「イタリア紀行」も彼から借りた。

現地旅行社の運営するシチリア島一周の7泊8日のツアーで、島を時計方向に一週間掛けてタクシーバスで回り、どこからでも参加できる仕組み。バイリンガル(イタリア語と英語)のガイドが付く。我々が使ったバスにはトリノからとミラノからの夫婦と我々の合計七人だけ。宿泊は全て4☆で、しかも、連泊が多く楽な旅になった。

成田からローマ経由でパレルモへはツアーの前日の深夜に入る。

翌4月12日の午後の集合に時間があるので、午前中は自由にパレルモ市街を観光する。
宿から徒歩でシチリア州立考古学博物館へ向う。地図を手に朝の町を迷いながら、開館直後の博物館へ入る。地中海の中央に位置するシチリア島の幾多の重層した遺跡物が展示されている。
ギリシャの最初の植民地として栄えたこの島の様相が浮かび上がる。今はイタリアの州なのだが、地中海の十字路として、興亡の歴史があり、中でもギリシャ文明を多く残す島なのだ。特に、後日に見学するセリヌンテの神殿遺跡から運んできた
ギリシャ神話の彫刻展示が見事。

シベリアの山河は固し四月航く

メドゥーサの首が州旗や春の果

次いで、マッシモ劇場へ。1897年にヴェルディーのオペラの上演で始まったこの劇場は客席数3200で欧州屈指の規模と華麗な内装を持つとか。内部見学ツアーに参加して、貴賓席から贅沢な内部を見ることができたが、勿論、上演しているわけではない。

パレルモには幾つかの市場がある。こっちだ、あっちだと近くのヴィッチリア市場へ迷い込んだ。野菜、魚介、肉屋、香辛料や調味料の店などが猥雑に立ち並び、豊かな食文化を感じさせられる。野菜はトマトとオレンジなどの他に、大きな黄色なカリフラワー、アーティチョークなど、魚介ではマグロが解体されて並んでいる。

市場の一角の小さな食堂に入り、期待のシーフード。たっぷり歩き、加えて、時差の関係から空腹感は最高潮。入口に日本語で「家庭料理の店」と紙が貼られていた。厨房にまで案内されて食材を覗かせてもらった。白ワインもあって上々の昼食を楽しんだ。食後に別の食堂で海胆が店前に置かれていた。シチリア人と日本人が海胆の味覚を知るとは聞いていたので、少し残念に思う。(以降、海胆は見ることは無かった)

ホテルに戻り、タクシーで現地ツアーの集合場所である山腹にあるリゾートホテルへ移る。この日の夕食から食事は全てツアーに含まれている。バイリンガルのガイドはイタリア語と英語でこれから島を一緒に回る。ツアー参加者は我々3名にトリノからの若夫婦のみ。一日後にミラノからの夫婦も入ったが、少人数での旅が良かった。七泊八日のシチリア一周はここのパレルモで3泊、エトナ山麓で3泊、それに、島央南部の海岸リゾートに一泊と何れも四つ星のホテル、昼食は現地の旅行社が選んだレストランはどれもワイン付きでゆっくりとした時間をとってくれた。途中、他の日本人ツアーとは会わなかった。

切岸の誘導灯や春飛行

遠足の子のメモしきり考古館

みかじめを断つ食堂や馬糞海胆


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<シチリア州旗(上)と考古学博物館のセリヌンテの神殿彫刻:中央が首を切られるメドゥーサ>

<魚屋には鮪やカジキなど>

<州旗はメドゥサの首と三本脚>