翌朝の松潘からの出発が朝7時に早まる。我々が二日前に通過した道で崩落事故があり、道は大渋滞らしい。

11時には、現場を通過する前にもかかわらず、パックに組まれたレストランで11時に山菜の昼食。いささか早いにも拘わらず、レストランでは、羌族の歌や踊りの大歓迎をうける。明るく歌う民族衣装が楽しい。二日前の村の子と云い、羌族の人達は明るく人懐っこい。

昼食後のバスが崩落現場に近くなって来たらしく確かに渋滞。川の対岸の細い道に迂回させられる。この迂回路は片側通行の幅の地道のために一時間も待たされる。そして、道を岷江まで崩し、まだ砂煙の立っている山崩れの現場を対岸に見てようよう通過した。復旧までには数ヶ月を要するらしい。
渋滞で立ち止まっている車を目当てに村の枇杷を売る羌族の娘達も明るい。

宿泊地の成都の夜は川劇を観賞する。北京の京劇、四川は川劇とか、観光用に、2時間ほどのショート演劇の集まり。三国志あり、曲芸あり、コミックあり、それぞれ趣向を凝らしている。

中で、変面の早さと奇抜さはすばらしい。
左は一瞬の間に面を変えた一例。更に地顔が出るまで五度も変える。

早朝の出発が効いて、都江堰市へ3時には到着できた。
四川盆地へ入り、気温は30度近くになり、酸素欠乏は無い。
ここには秦時代からの都江堰(とこうえん)と呼ばれる水利施設が今も使われている。

2000年前の蜀群の太守であった李氷の大工事が残っている。
岷江の洪水を魚嘴、飛沙堰、宝瓶口の三部で、河を分水して、洪水を防ぎ、安定した農業灌漑水を得ることを果たした。
これにより、成都平原は潤い、天府と呼ばれる豊かな大地になった。すばらしい文化遺産で、長城と並ぶ、古代中国の偉大さを実見した。李氷とその子二郎を祀った二王廟などが近くにある。魚嘴の先まで明時代の吊りの板橋を渡って行く時間はあった。

豚鳴いて
 古城の郷の夏暁かな

羌族の娘等の歌声
         風薫る

青蘆にタルチョ絡まる暴れ河

枇杷売りの背負子はみ出す棒秤

老犬の長くつながれ里若葉

出水を
  利水へ捌く
     魚の嘴

大遺産
   潤す四川の
      青田かな

崩落の痕を残して峪若葉

涼しさや面変一瞬見栄を切る


HOMEへ

「その後のサファリ」のTOPへ

back

next

羌族のレストラン「山菜王」

崩落現場への道

都江堰(内外に岷江の流れを変える魚嘴)

変面と川劇のフィナーレ

吊り橋を渡るこつあり夏の蝶