3日目
時差がないのがとても良いが、ホテルの出発が毎日少しずつ早くなる。と云う事は起床も、モーニングコールもそうなる。
訪問地の慶州は紀元前57年〜紀元935年の間の新羅王朝の都で、徐羅伐(ソラボル) または 鶏林とも呼ばれていたが、高麗以降にこの慶州と称するようになった。そして、多くの文化財や遺跡が遺され、また、町のあちらこちらに古墳が点在している。
最初は世界遺産の吐含山の山頂近くの石窟庵へ向かう。
ここは新羅が百済、高句麗を平定して、統一新羅として最も栄えた景徳王10年(751年)、仏国寺の創建と同様、宰相金大城によって石仏寺という名前で創建され、彼が亡くなった後、国が工事を引き受けて完成させた。金大城は、前世の親のために石仏寺(石窟庵)を創建し、現世の親のために仏国寺を建造されたとの事。
<石窟庵:左上>
本尊仏の釈迦如来坐像は花崗岩を丸彫りで新羅仏教美術の最高傑作。
その本尊を中心して、石窟内部には仁王像や四天王像など29の脇持仏が石壁に彫られている。
一時はその存在も忘れられていたが、日本統治時代に発見され、崩壊の危機から修復されたらしい。
それが、不完全な形だったので、位置や組み方に問題が残り、湿気が内部を浸蝕しているらしい。そのため、最近はガラス越しで拝み、内部に入れない。撮影も禁止。
吐含山を下って佛国寺へ行く。観光のハイライトでもある。
石仏の御ン目おぼろの東海へ
のどけしや白鵬に似し石仏
山頂は芽吹く気配や石窟庵
往時まま残っていたのが正面の紫霞門の礎石。その階段はアーチ工法を使っている。
中央の大雄殿の境内には石塔の釈迦塔と多宝塔も当時のままで残っており、その洒脱なデザインと様式美が見事。
<横から見た佛国寺↑>
<↑多宝塔>
8世紀に創建された寺は、その後、高麗時代と朝鮮王朝時代に何回か改修されたが、壬辰倭乱(文禄の役)で加藤清正軍にほとんどの建物は焼かれたらしい。
日本で人気の豊臣秀吉は韓国では悪名高い筆頭でもある。
新羅文化の華とも言える技術とデザインが駆使されているのだろう。
境内を巡るように建つ大雄殿、極楽殿、観音殿、毘廬殿、羅漢殿などに、仏の国と現世の意味もある。
国宝や春の伽藍の石二塔
遠足のまたやってくる佛国寺
羅漢堂から下り来て梅七分
回廊も黄や山茱萸の花の先
佛国寺を後にして、青磁の窯元の直販店へ案内される。登り窯の火は落ちていたが、轆轤を廻したり、絵付けをしている小屋で、日本語の説明がある。次に店で買えるシステムになっている。香炉や酒器など興味もあるが、デジカメで記録するだけに留めた。陶磁器の良し悪しが分からないのだ。
昼食は慶州市内の古墳公園の傍でもあったので、公園を歩いて食後の時間を使った。
昼食後は170キロ離れた丹陽へ。途中の大蒜畑が淡く綺麗だ。ここは韓国の桂林と云われているらしい。昔、洪水で山が流されて、留まった場所とか、今は奇岩が立っている。景勝地にしたいらしいが、遠くに大きなビルが見える。
この丹陽のコンドミニアム形式の宿に泊まる。オンドルの部屋に布団を敷いて寝たが、なかなか快適であった。
地虫出ず登り窯から足早に
山流れきて亀の鳴く景勝地
下萌や古墳公園人疎ら
大蒜の畑明るき盆地かな