3日目(2月11日)

ドイツ人のシュリーマンが、ホメロスの叙事詩を信じて、発掘を始めたトロイへ先ず行く。雪が残って寒い朝であるが、快晴でうれしい。復元された木馬が遺跡入口にある。古くはBC3000年頃から4世紀頃まで、都度の文明の城壁、塔、劇場などが遺跡として幾重にも積み重なっている。

BC2500年頃にはエーゲ海の交易拠点として栄えたこともあったが、栄枯盛衰を繰り返し、ミケーネとのトロイ戦争(BC1200年頃)に敗れて滅亡に至った。その後、アレキサンダー大王(BC335年頃)やローマ時代のコンスタンティヌス帝(AD350年頃)もこの地を訪れている。遺跡として、エーゲ海は遺跡より遠くなってしまったが、当時は城壁に隣接していたらしい。

トロイ遺跡入口の木馬と幾層も重なる遺跡

春寒や木馬の胎に中国人

春雪の厚さ地層の二千年

バスは次の目的地、210km先のベルガマへ向かう。途中は山に入ったり、海に出たりして起伏に富んだ風景を楽しむ。気候の変化も激しく、雪になったり晴れたり不安定であった。大理石の採石場があちらこちらに見えて、古代ギリシャ時代からの建材は豊富であると納得する。

冬枯れのいちじく畑また畑

地吹雪や共和国旗の立つ校舎

ベルガマの都市を見下ろすように、ベルガモンの都市遺跡がある。ここはアレキサンダー大王の死後、広大な領地が分割され、ベルガモン王朝として、小アジアの交易を通じて栄えた。そしてギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建設がここに行われた。ローマ帝国の属州にもなったが、平和裡に繁栄が続いた。その後、アラブの攻撃を受け、更に19世紀には神殿をドイツに持ち去られている。ベルリンのベルガモン博物館内に納められている。これを戻して、この丘に立て直したら、すばらしい往時の姿になるのではないか、アクロポリスの遺跡を見学して思う。(下の写真)

裸木と石柱一列ゼウスの居

神々の埋もれたままに山眠る

その後、宿泊地のイズミルへ向かう。エーゲ海に面してトルコ第3の都市。
第一次大戦中、オスマン帝国とトルコ分割を決めていたヨーロッパの列強。途中から参戦したアメリカのトルコ分割協定の拒否。そんな中、「ギリシャがこのイズミルへ上陸し占領した。これへの怒りからトルコの独立戦争が始まった」とトルコの歴史教科書に書かれている。
今は、新しい街として海岸遊歩道路ができていた。夕暮れを楽しみながら、この道を散策できた。トルコの父と云われるアタチェルク像や現代風の彫刻が立っていた。

春宵の闇に消えゆくパシャの像

イズミルの遊歩道


(パシャは将軍)

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射的場や海の風船よくゆれる

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