


5日目

夕暮れてティティカカの湖畔のホテルに入る。酸欠でへばった仲間も多く、酸素吸入をホテルのサービスで受けたりしている。夜空が澄んで、南十字星や銀河も見える。
このホテルの夕食にアルパカ・ステーキを特注して食べた。ツアーで決められている料理から離れているので、ガイドに無理を言ってバスから携帯電話でホテルへ事前に頼み込んだ。
柔らかくて、脂身が少なく、美味い!今回のツアーの食事では最高の味であった。喜んではしゃぐ我々の所に厨房からシェフまで飛んできて、ハグまでした。彼もきっと嬉しかったに違いない。別払いの料金の受け取りも拒否された。

近づけば墓へ色なき風起こる ビクーニャを連れてインカの夏帽子
高地咲くなにやら寂し夏の花
聖地らし弱き西日へ手を挙げる 旅人は高地に病めり星月夜
シユスタニ遺跡と牧童↑ と 半壊の墓→

\太陽神へインカ風拝礼
↑ビクーニャ
←こんな花が咲いていた
シユスタニ遺跡はプレ・インカのチュウラホン文化からインカ時代にかけて造られた円筒の石の塔であり、これらは墓らしい。「ここは、墓以外には住居などはなかった」と、ガイドの説明。
石を丸く積み上げその中にミイラを葬った。造られた時代は違っても、塔には小窓があり、全て東側を向いて、冬至の日には朝日が差し込む様になっている。スペイン人によって半壊になってはいるが、その石組は実に美しく精緻だ。チュウラホン文化は1000年頃に全盛を迎えた文化と言われ、石の住居と段々畑が特徴だった。
近くにウマヨ湖がありとても静かな高地の墳墓である。バスから降りて、頭痛で苦しむ人も多かったが、みんな一緒に、丘の石墓まで歩いた。途中、民族衣装のインディオがアルパカや羊の放牧をしていた。小さな高山植物の花があちこちに咲いている。
ガイドの音頭で、酸欠でへばった人も太陽に向かって手を上げて祈りを捧げパワーを貰った。
帰り道で、希少価値のビクーニャを連れた親子に出会い、一緒に写真などを撮らせてもらった。ビクーニャはアルパカとは近縁だが、絶滅種に指定されている。その毛織物は古くから珍重され、王族や貴族の衣類しか使えなかった。今、ビクーニャを捕らえたり、殺傷などをすれば、可なりの重刑とガイドが話していた。ここにはある一族が50頭ほどを飼育しているらしい。この親子もその一族なのだろう。
名峰ワルカワルカ
クスコからアレキパ経由して、標高3800mのフリアカへ空路移動する。途中、機窓からはアンデスの名峰ワルカワルカ山(6025m)が眼下に雄大な姿を見せていた。
高地フリアカでは酸欠状況で頭痛を訴える人も増える。それでも用意されたバスでツアーは更に高地のシユスタニ遺跡(4000m)へ向う。
途中、通過したフリアカ市内では祭りの真っ最中で、5−6mの人形を掲げる人の列が遠望できた。水掛の風習もあるのか、バスに向かって思い切りバケツで水をかけてくる。市内の道には、チョロ・タクシーという二人乗りの自転車タクシーが多い。1−So(30円)で乗り放題の由。地方都市の通過も味なものだ。