夏霧のたちまち隠す空の都市 


石組の緩みしっかと野生蘭 


石崩すピサロのような赤い蟻 


神域は高きに夏の日矢射せり 


太陽を神と崇めてサングラス 


石組を落ちる水音涼しかり 


天辺に処女生贄の石灼ける         突として人消えし都市二重虹

4日目―2

都市の人口はガイドブックなどには1万人とあるが、ガイドは千人くらいが妥当と言っていた。確かに眼前に遺構に一万人は無理だと思う。空中写真からみたマチュピチュの総面積は5キロ米で、その半分は斜面となっている。山の天辺にある都市遺跡への急峻な傾斜には段々畑作られていて、彼の話では、畑が目的ではなく、石垣で都市を築き上げるために段々となったとも話していた。

 遺跡の最も古い部分は2000年前に建造されたとの説もあり、これはインカ帝国以前からの存在を示す。スペイン人によるインカ帝国の征服後、クスコや他の町はことごとく破壊され、インカの建築様式を忠実に再現することは極めて困難である。マチュピチュはそんなインカ時代の失われた過去が手つかずに残されている貴重な遺跡なのだ。ハイラム・ビンガムが「失われた都市」と呼んだのはそんな意味が込められているのだろう。

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マチュピチュの全景

マヤ文明のチチェンイッツアの遺跡に比べて、石垣に絵や文字が彫られていない。僅かに、奈良の亀石のようなコンドルと言われている凹みがあるのみ。これでは謎が解け難い筈だと合点する。

\最高点に立つ日時計か? 
↑コンドルの石彫り(ここは牢獄だったとか?
←住居に石臼跡か?
↓飲料水なのか?

墓をおりて、都市の中を歩く。他の石組みの場所と違って、特にしっかりとした石組みは重要な建物らしい。広場、狭い道、階段、二階らしき家、朝日に向って窓のある神殿、水路など、ガイドの話を聞きながら歩く。

インカ帝国では太陽を崇拝し、皇帝は太陽の子と崇められ、暦を司っていたことから、インカの人々の崇拝する太陽を観測するための建物群ではないかともいわれる。実際に太陽の神殿は左の窓から日が差し込む時は冬至、右の窓から日が差し込むときは夏至と作られている。また処女たちを生贄に差し出した台座の遺構も太陽を観測する日時計だったと推測されている。

また、別の見方として、インカの王族や貴族のための別荘とも言われるが、太陽を中心とした暦などを作る観測地、或いは太陽神を祀る宗教都市として考えるのが妥当かも知れない。

 いまひとつ、発見したハイラム・ビンガムはスペインに征服された後の反撃を期して、インカの兵士が立て籠った基地(ビルカバンバ)と結論付けたが、これは後の検証で別な場所だった。