3日目

いよいよ3000m以上の高地の始まりである。クスコはインカ帝国の都であった。

 インカはここ高地のクスコに始まり、300年以上も帝国としてアンデス高地から太平洋側にその領土を拡張した。15世紀には最盛期となり今のペルー、ボリビア、エクアドルの大部分とチリ、アルゼンチン、コロンビアの一部も含まれるほどだった。しかしながら、その後継者争いや広域統治による内戦、また、天然痘による人口減少、そして、スペインによる侵略で1533年に滅亡した。最後の皇帝アタワルバは、招待されて訪れたスペインとの会見で、捕縛、幽閉され、やがて殺害された。

 この年、策略により皇帝アタワルパを殺したスペイン人がクスコに到着し、徹底的に金の略奪をして、それらを鋳して本国へと送ったとされる。この時は2時間ほどで、非武装の7000人以上が殺害された。

クスコ市内を見下ろす、サクサイワマン遺跡へ行く。ここは、巨石を巧みに構成したクスコを護る要塞であった。また、スペインに征服された後の1536年に反逆したニ万人のインカ兵がここに立て籠もった。しかし最後は、夜は戦わないインカ兵はすきを突かれ、敗北したとか、大きな石組みの壁だけが残っている。

タンポ・マチャイ(聖なる泉)へ行く。石組みから常に同じ水量の水が昔から流れている。いろいろと調べたが、水源は不明らしい。インカには文字がないので記録は無く、伝承だけなのだ。

案内されてこれら遺跡を歩く。酸素が薄いためか、旅行者の多くは元気がない。民族衣装を着たインディオがアルパカを連れてやって来る。観光客目当てではなくこれが普通の生活なのだ。

「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME

 その後、教会のある町の中心、アルマス広場へ行く。クスコのインカの神殿は破壊され、スペイン風の教会がその上に建てられた。すなわち、太陽の神殿(コリカンチャ)の上には100年の歳月をかけてサント・ドミンゴ大聖堂が建った。その教会の中には300tの銀でできた祭壇や数百の宗教画が人々を圧倒する。

 そして、その土台には、しっかりとしたインカの石組みを見る事ができた。カミソリ一枚も入らない隙間ない見事な石組みであった。

大聖堂の他にもアルマス広場にはラ・コンパーニャ・ヘス教会が立っている。これはインカ皇帝の宮殿を取り壊して建てたが、17世紀の大地震で崩壊して、1650年に建て替えられた。

また、クスコの石の狭い町を歩けば、精巧なインカ時代の石積みの上に現代風の建物が作られている。


行く夏の古都を見下ろすキリスト像 

埴色の盆地の屋並青き嶺 

覇王樹の実を食いやぶるインカの子 

じゃがいもの花やアルパカ繋がれて 

高地来てコカの新茶を振舞われ   

なお水路に清水絶えぬまま

インカの時代には創造神ビラコチャの神殿だったカテドラル(アラマス広場)と内部のインカの石積み(↓)

インディオがアルパカ

タンポ・マチャイ(聖なる泉)

サクサイワマン遺跡

クスコ市内を見下ろす