2日目(3月22日)
この日は世界遺産イースター島の終日観光となる。南回帰線の更に南なので、爽快な秋の風情が漂う。
最初にタハイ儀式村へ行く。そこで、日本人のイースター島公認ガイドからモアイ全般とタハイ儀式村についての説明を受ける。
モアイは10世紀から17世紀頃まで作られていたが、18世紀以降は作られなくなり、その後は破壊されていった。
モアイのデザインも時代につれ変化した。
初期の頃は人の姿に近いもので、下半身も作られている。
第二期にのモアイは下半身が無く、細長い手で腹の前で組んでいる。
第三期のモアイは頭上に赤い凝灰石で作られたプカオ(髪・髪飾り)を乗せている。
第四期になると、ラノ・ララクに捨て置かれた様な姿となり、長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口を備えるようになる。モデルが異なる人種と思われても仕方がないる。インカ含みとも推定される。
次に向かったのは、アナケナ・ビーチ。島で最も大きな白砂の海岸で、ハイシーズンは過ぎたが、海水浴客が楽しんでいる。チリ本土からの若者のようだ。
1960年にタヒチから植林された椰子の葉音が涼しげだ。椰子の実が頭上に落下の危険があるので、真下は避けながら歩く。
このビーチは5世紀に伝説のホツマツア王上陸の地とされており、1956年に復元されたアフ(祭壇)と7体のモアイがある。この内、5体のモアイが倒された後に白砂によって覆われたために、保存状態が良く、背にモアイ彫刻が褌や入墨まで細部まで見る事が出来る。
また、このアフ(祭壇)を修復した際に、白珊瑚が埋め込まれたモアイの目が発見され、モアイには目の付いていた事が分かった。
ここで、準備された弁当で昼食を摂る。湯がいた魚でぱさぱさしていた。
このタハイ儀式村は1970年に復元されたもので、かつて島に15カ所あったと言われる中心地のひとつ。海を背にして左の5体のモアイ、顔長のモアイ一体、それにプカオ(頭に乗せた髷)と目が入ったモアイ一体がいずれもアフ(祭壇)に復元されて立っている。それぞれに作られた時代が異なるらしい。一番古いモアイは700年前と推測されている。
中央の独立モアイは元の場所に立てられている。その前の平地には集落があり、様々な祭祀や儀式が行われていたのだ。
目を入れた右のモアイは島で唯一つだという。白珊瑚と赤凝灰石で忠実に再現された。本来はほぼ全てのモアイは目を持っていた。
タハイ儀式村の夕日
ラノ・ララク:腹に帆船の絵
この後、ホテルに戻って、事前に予約した早めの夕食を摂る。
生マグロ、蛸やエビの盛り合わせのサラダ風な皿など、魚介類のスープでまとめる。チリの白ワインと絶妙な取り合わせだ。
更に数キロ先の、ハイライトと云うべきモアイの製造場所のラノ・ララクへ向かう。
ここはモアイの掘り出し、彫刻などを行った場所と考えられている。掘り出し中のものや、倒れたもの、埋まったままのもの、輸送中に倒れたものなどが凝灰石の山斜面に散乱している。
ここに400体近いモアイがあるそうだ。
中には座ったモアイや腹に帆船らしき彫り物を持ったモアイも見えた。帆船はヨーロッパ人を見た後のものだと推定される。
バスは島を時計回りに走り、次のアフ・トンガリキへ行く。途中、草原に可なりの馬が放たれているのが見える。
島の祭の競馬で、南米本土のチリから運んできたらしい。
化石や花粉の研究で、最初にポリネシア人が移住した5世紀頃には大きな椰子の樹が生い茂る島だったと考えられている。7−8世紀に石の祭壇(アフ)が作られ、その上にモアイが立つようになったのは10世紀頃からとされている。
部族長を中心とした厳然たる階級社会を営むポリネシア人にとって祖先を祀り、王族や勇者を祀る習俗があった。石像が造られたのは、他のポリネシアの島々と異なり、木が少なく、加工しやすい柔らかな火山による凝灰岩が豊富に存在していたことによる。
アフ・トンガリキの15体のモアイが立つアフ(祭壇)
再びタハイ儀式村へ行って、日没を待つ。具合が悪い事にモアイ像の後ろの水平線に雲が湧き出し、その中に太陽が沈んでしまった。夕涼みをしながら夜になれば、南半球の夜空が現れる。
夜の星空観賞はイースター満月直前で、月の光が強過ぎた。それでも、南十字星、ケンタウルスのαとβなどははっきり見える。銀河も月光があるにもかかわらず、微かに頭上を横切っているのが見えた。
空気が澄み切っているのだろう。
北半球の北極星にのような南極星が無い南半球の船乗りたちは、南十字星を目印にした。十字の長い部分を結んで、4.5倍伸ばした先が天の南極でこれを頼りに船を操った。
三脚を使って星空とモアイを撮っている人もいる。何の準備もなく夜空の撮影は叶わぬので、しっかと星座や銀河を眺めた。
カラフルなテント村守るモアイ像
蜻蛉来る熔岩の礁の赤々し
立たされし顔欠けモアイ復活祭
秋草や斃れモアイの像ひとつ
禿山にモアイごろごろ秋の風
秋薊モアイの肌の荒々し
星流れ壇に直立モアイ像
秋澄むや南極天を指させり
掘り出し中のものや、祭壇(アフ)へ移動を待つもの、移動中に倒れたものなどさまざまだが、その中の最大21mの未完成のモアイ像は山にしっかりと寝たままだ。
突然に作業をやめたかのように、工具の石などが、打ち捨てられていたらしい。何があったのだろう?
ラノ・ララク:島で唯一の正座のモアイ
アフ・トンガリキは復元された中で最も大きい15体のモアイが立つアフ(祭壇)である。
前倒しにされていたモアイが1960年のチリ沖津波の影響で、倒れたモアイの位置がさらに移動してしまった。
そのために、修復作業が断念されていたが、1995年に日本のタダノ建設がクレーンを手配して復元工事が行われた。ここには3つのアフ(祭壇)があり、32体のモアイが発見されている。これだけの規模の大きなアフ(祭壇)は見つかっていないので、ここには島一番の村があったと推測される。
ラノ・ララク:未完成だが最大のモアイ
(丈21mで重さは250tと推定される)
上左写真の右:初期のモアイ
埋もれて目ンないモアイの秋思かな
ラノ・ララクの風景:同じ位の高さの胴体が埋まっている
アナケナビーチに7体のモアイの立つアフ・ナウナウ(祭壇)と褌姿を締め、プカオ(髪飾り)と付けた後姿
ラノ・ララク:人気のモアイ・ピロピロ(12m)
タハイ儀式村の全景:右端が目玉の付いたモアイ像