7月27日(日)

 日本の旅行社からのオリジナルの旅程ではチェックアウトの14時まで自由行動となっていたが、ガイドとドライバーに頼んでバリ島の南に突き出たバドゥン半島のマリーン・レジャーの浜へ行った。

<ウミガメ飼育の島にて>

<黄色いプルメリア>

<閑話休題−2>

 40年ほど前の事だが、タンザニアで日本人の友人が殺害された。葬儀を在留邦人で行ったが、仏教僧侶が居ないので、ヒンズー教の僧侶が替わりに火葬場でお経を唱えた。
 野原に組まれた火葬の鉄枠にお棺を置き、それに僧侶が撒くゴマとゴマ油がパチパチ撥ねて燃えた。お棺の周りを陽気なお経を唱えて踊る様に廻っていたのが印象的だった。
 
 今回のバリ・ヒンズーでは、「死は次なる生への引き継ぎの祝い」と知ったが、その時のタンザニアのヒンズー教の僧侶もお祝いだったのだろうか・・。

<絶壁のウルワトゥ寺院と祈祷所の入口>

 小さな亀の島は100人ほどの観光客で混雑していた。海外からだけでなく、インドネシアの他の島から来た観光客も多い。ウミガメだけでなく蝙蝠、珍鳥、イグアナや蛇などの野生動物を直接手に触れる趣向が採られている。島への入場料金(2$)は環境保護に使われると云う。

 この浜には水上スク―ターやモーターボート、更にモーターボートで綱を引っ張って一気に空へ上がるパラセーリングなど、様々な遊びがある。透明度の高い海水と白砂が美しい。 
 海の家に入って、メニューから我々は「船底から海中を眺められる船でウミガメ飼育の島へ」を選んだ。8人位乗船できそうだが我々2人で独占した形になった。真っ黒に日焼けした女船頭の操舵で海に出る。水深5m程の浅い海で、船底のガラス窓には石鯛に似た魚群が見える。
 それよりも空へ飛び上がる色鮮やかなパラセーリングが見事だ。これを選ばなかったのは些か悔いを残す。

<閑話休題−3>

 インドネシアのハルマヘラ島へ父が太平洋戦争時に出征していた。敗戦後の昭和21年に疎開していた山梨の母の実家へ復員兵として帰還した。これが私が父を最初に認識した丁度3歳の時だった。
 ハルマヘラ島はかなり離れているが、インドネシアへのこの面からも想いはある。

<パラセーリングは乗りたかった・・>

小型のウミガメと大型のウミガメは別のプールて泳がされている。海藻を与えれば訳なく近寄ってきて、手に抱く事も出来る。それぞれ20〜30匹ずつも居ただろうか?

<閑話休題−1>
 インドネシアは20年ほど前に仕事でジャカルタを通り過ぎたが、今回の旅ではこの国のふたつの文化に接する事が出来たと思う。
 ジャワ島のボルブドールの遺跡とプランバナンの寺院遺跡群、そして、ラマダン月の過し方やメッカ巡礼などジョグジャカルタのイスラム教徒のガイドの話にはとても興味を抱いた。

 一方、バリ島ではヒンズー教の輪廻転生の死生観からか、明るい陽気さが感じられた。幸福を測る物差しに違いがあるのだ。

 それと、日本語がこんなに多くの人に話されているのにも驚いた。バリ州への観光客は、今はオーストラリアに抜かれたが、数年前までは日本人が一番多かった。JALの直行便もあった。その為か、程度の差こそあれ、出会った殆どの人が日本語を話す。ジョグジャカルタとバリの日本語ガイドとは親しく話が出来た。

ラグーンに捕食疲れの大トカゲ

蛇首に巻きたがる人逃げる人

海中に素足踏ん張る舟曳き女

たれかれと素足をつつく小ガメかな

 小島からの帰りに我々が乗船した後、ひしめき合っている船から女船頭と仕切り人が海中に踏ん張って我々の船を押し出す。隣の船の白人客は自ら海に入って押している。「サンキュー」と云ったら、力瘤を見せて「ジャパン?」と話しかけて来た。サハリンからの観光客とか、そう云えば、3月に行ったウズベキスタンでもサハリン人に話しかけられた。みんな優しい人だった。

 亀を抱いたり、蛇を首に巻いたりして遊んだ。もっとも、蛇の口にはセロテープが巻かれ噛めない様なっていた。

 名前の知らない鳥の檻に入っていたら、直ぐ後ろから来たジャワからの女学生ふたりが「日本人と一緒に写真を撮りたい」と云って来た。喜んで一緒したが、インドネシアはとても親日的で嬉しくなる。

 バリ島では、宗教的慣習により何世代もわたってウミガメを捕えてきた。それが、やがて、べっ甲などの商業的消費に伴ってウミガメの減少が顕著になった。ここでは産卵後の卵を孵化場に移して保護し、孵化した小ガメを放流するなどが行われている。この絶滅危惧種のウミガメの調査・保護活動にはWWF(世界自然保護基金)の支援もある。

<赤いプルメリア>

 早い目に空港まで送って貰い、全ての観光は終了した。ガイドは我々が出国ロビーに見えなくなるまで手を振ってくれた。いろいろと知らないバリの仕来たりや慣習などを聴かせてくれた。

 デンパサール空港からジャカルタまでの国内線が着陸態勢に入った機窓から打ち上げ花火が各所に上っているのが見える。ラマダンが終り新しい月に入ったのだ。

バナナ手に猿が出てくる祈祷後

懸崖に一塔崖下へ夏燕

をちこちにラマダン明けの花火かな

 近くの食堂で昼食を摂る。ガイドと運転手も隣のテーブルで摂ってもらい、チップ代わりに支払いはこちらに回してもらった。

 ウミガメの小島へは20分ほどで到着するが、多くの観光ボートがひしめき合っている。女船頭は駐船スペースを探すために小島の仕切り人と折り合いを付けて場所を得た。仕切る人は胸から首まで海水に入ってボートの出入りを交通整理しているのだ。

<群がるグラスボート>

インドネシアの赤マーク左より
  ジャワ島
  バリ島
  ハルマヘラ島

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 それでも時間があるので、バドゥン半島の西端、インド洋に突きび出した断崖に建つウルワトゥ寺院へ廻った。ここにも猿が人と共存している。日曜日からか、礼拝所は祈祷がおこなわれて、崖の寺内には入れなかったが、インド洋を一望できる壮大な景は少し外れた場所から存分に眺められた。