ジャワとバリ島

<日没後、空港内の飲み水のコーナーが用意された>

 1050分発の便で成田から首都ジャカルタへ入り、そこから国内線で古都ジョグジャカルタへ向かう。

 ジャカルタ空港の国内線を待つ時間に、成田から手持ちした寿司弁当を食べようとしたが、何となくそんな雰囲気になれない。ラマダン月の最中で待合ロビーの人達は一切の飲食を断っているのだ。1840分過ぎにテレビ放送で日没を知らせたらしく、一斉に動き出し、そして、食べ始めた。コーナーには空港会社が用意した水が無料で配られ始めた。無神経にも寿司を広げるところだった。我々には関係が無いけど、気まずい雰囲気にならなくて良かった。19時発の国内便が出発するまでの残った僅かな時間に寿司を食べた。

 この遺跡を完成させたシャイシンドラ王朝はやがて崩壊し、ヒンズー教国からイスラム教国へ移るに至って、歴史の舞台から消えた。1814年に英国植民地、ジャワの知事として赴任したトーマス・ラッフルズにより発見されて千年に及ぶ眠りから覚めた。
 その後、主権となったオランダ当局によって管理され修復も行われたが、独立後の1973年からユネスコ主導で本格的に修復保存工事がなされた。補強材などは25%以下にして殆どは発掘された石を元の様に接着剤なして積み上げる事で復元し、1991年世界遺産として登録された。

<仏を見せるストゥーパが二基あった>

<ボルブドゥール遺跡の全容>

椰子の実でサッカーごっこ裸足の子

雲海に溺れ機窓に視界なし

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夏雲の影濃き南太平洋

ぶんぶんや瞑想仏は聞かぬふり

ストゥーパに窓あり坐仏の涼しかり

 インドネシアはジャワ島の世界遺産、そして、ヒンズー教のバリ島へ、気候の良い7月末に訪問した。旅は4人の予定だったが、2人がキャンセルした様で、我々だけで動いた。専用車で現地の日本語ガイドとドライバーの4人だけなので自由が利いた。

 方円壇の回廊には仏教説話のレリーフが1460面もあり時計回りに続いている。この中で注目される第一回廊の120面のレリーフからなる「ブッダの生涯」を見て廻る。上の壇の壁面は仏教説話ではなく、さまざまな仏像の浮かし彫りとなっている。

 丁度、インドネシア大統領選挙結果が庶民派ウィドド氏に決まった直後で、現地の新聞には選挙区毎の最終票数などが載っていた。町ではどんな反応かと期待をしたが、いつもと変わらぬ様子らしい。ガイドの口からも無関心の様子だった。

724日(木)

 ラマダンの最終週にも当って、回教徒の多いジャワ島の人々の様子は興味深かった。

 円形壇にはストゥーパが72基あり、中に石仏が座っている。下の円形壇にあるストゥーパの透かし窓の形は菱形で、これは心が不安定な事を表しているとか、上部の透かし窓の形は安定した正方形だ。最上部で最大のトゥーパは窓も無く、悟りの姿を象徴している。

<円形壇は仏教説話のレリーフ>

 20時を過ぎてジョグジャカルタへ到着した。時差は日本より2時間遅れる。空港ではガイドが迎えてくれて、そのままホテルへ専用車で案内してくれた。

青山を真向かいに坐す仏たち

万緑を抜けて悟りの壇へ入る

万緑を抜け三界を登りけり

 入口で参観者はサロンと呼ばれる布を配られ、それを腰に巻く。ドレスコードと云ったところだ。バーミヤンを破壊したタリバン等とは全く異なり、遺跡を保存しているジャワ島の回教徒の包容力が素晴しい。

 120mの基壇があり、上に五層の方円壇、更に三層の円形壇があり、全体で九層の階段状になっている。高さは33.5mとある。方円壇から石段を登って上の壇へ進む事で、悟りへの道となる。

 この日は先ず世界遺産のボルブドゥール遺跡へ向かう。ジョグジャカルタのホテルから車で一時間程を要するこの遺跡は世界最大の仏教遺跡で、9世紀の建造とされている。千年以上も火山灰に埋もれ、密林の中で眠っていた謎の多い遺跡だが、出土した石碑の碑文からシャイシンドラ王朝によって50年の歳月をかけて建造されたと考えられている。

723日(水)-1