7日目(327日)

この日は終日ヒヴァのイチャンカラ(内城)観光。宿の前の西門から入る。先ず19世紀に神学校として建てられて1979年にホテルとして使用されているハンムド・アミン・メドレセへ。最盛期には99名の寄宿神学生がいたが、今は125の部屋のホテルとなった。昨夕、ここはライトアップされていた。

内城で会った子供達

敬老土人形

宮殿の見張り台からヒヴァの内城を眺める 塔は左からジュマ・モスク、イスラムホジャ、カルタ・ミナル

 メイン通りの南にパフラヴァン・マフムド廟がある。14世紀人気の政治家で、また、格闘家でもあり、ヒヴァの庇護者として尊敬されている。ここでも地元の多くの信者に交じってコーランを唱えてもらった。

 ヒヴァ最後のハンの大臣イスラーム・ホジャが1910年に建てた最も新しいメドレセとミナレットを見学する。ミナレットはヒヴァで一番高く(45m)で繊細な色タイルが更に塔を高く見せている。

 そして10世紀に建てられた多柱式のジュマ・モスクは、中央アジアでは最も有名なモスクのひとつ。修復工事を重ね今の形に18世紀末になった。55m x 46m、高さ5mで約3m間隔で212本の様々な彫刻の木柱が支えている。

イスラムホジャのミナレット(45m)

多柱式のジュマ・モスク

最後は中庭を囲み163部屋を有するタシュハウリ宮殿へ。執務室や謁見の間などがあり、4人の正妻の部屋とハーレムとしても部屋もある。

(←)タシュハウリ宮殿の第一正妻の部屋と執務室(↑)

 昼食後の自由散策なので、南門から城壁に上り、城壁を少し歩いた。西門とは違って生活道路の門にもなっている。
 城内の土産屋やバザールを歩いていたら、何故かサハリンから来たロシア人にムービーで追いかけられた。会う人は誰も友好的で、また、店の人達も買わなくても笑顔で対応してくれた。

囀りや青き未完のミナレット

鼻髭を揺らし笛吹く春うらら

観光ラクダャのカーチャ

イチャンカラ(内城)南門は生活者が主に使っている

春愁や奴隷市場の辻に入る

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 次の「古い宮殿」クニャ・アリクには、造幣所や兵器庫、カラフルな模様で飾られた玉座などを見ながらヒヴァの全景を眺める見張り台に上る。ここから城壁で囲まれた中世イスラムの世界を目の当りに見る。

イチャンカラ(内城)西門へ夕日

夕日に映えるヒヴァ城は幻想的で素晴しかった。

「古い宮殿」クニャ・アリクの城門

ナンを窯で焼く女

落照のヒヴァ城壁の遅日かな

直ぐ隣には未完成のカルタ・ミナルが聳える。鮮やかな青タイルが朝日に当って美しく目立つ。完成すれば109mの高いミナレットでヒヴァのハンがブハラの町を見張ろうと考えていた。この事を知ったブハラのハンが塔の職人を買収して工事を止めさせたので、怒ったヒヴァのハンは職人を殺したとか・・・ヒヴァのハンが1855年にペルシャとの戦いで戦死したのが理由とか、いろいろ云われている。塔は26mの高さで中断されたままになっている。

春日差し飾り柱の彫り揺れる

絨毯を干している家から見たパフラヴァン・マフムド廟とミナレット

春なれど星満天に潤みなし

早朝のカルタ・ミナル