6日目(3月26日)
ウズベクの女飾りて春菜摘む
春風や雉撃つ花摘む土漠陰
キジルクム(赤い砂漠)の一本道
塩辛き地に漂流の耕運機
水温むとて魚棲まぬ大河かな
ホラズム王都のヒヴァはアム・ダリア(川)下流のオアシス都市として古代より繁栄してきた。町は外敵を防ぐために外壁と内壁の二重の城塞に囲まれている。内城イチャン・カラには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されて1969年には全体として『博物館都市』、1990年には世界文化遺産に登録された。ホラズムは「太陽の国」の意味で年間300日は快晴が続く。
またヒヴァは19世紀にロシアに降伏されるまで中央アジア最大の奴隷市場があった。ロシアによって解放された時には300人のロシア人奴隷と、それ以外に3万人の奴隷が居たと言われる。
第二の都市ウルゲンチを通過して、ヒヴァへは日暮の前に到着した。
春霞む四囲は土瀑の地平線
凧糸をたぐる少年見る少女
ヒヴァに近づくにつれて、通過する地域の土地が次第に白くなってくる。これは「塩」で、この塩が現在ホラズム地方に大きな被害を与えている。
ソ連時代、アム・ダリア(川)とシル・ダリア(川)から綿花栽培用の水を引くために大規模な灌漑が行われた結果、この二つの川が流れ込むアラル海の水量が激減して、塩の濃度が上昇し、周辺の土地に塩が浮きだす様になった。
農業への被害だけでなく、空気中の塩分による健康被害も懸念され、対策と国際的な救援が急務となっている。1960年に世界第4位の湖沼面積だったアラル海は比べ、今はその面積が20%しかない。元々海の30%の塩分を含んだ汽水湖だったが、今の塩分濃度は海水の2倍以上にもなって、魚を含め多くの生物が死滅した。20世紀最大の環境破壊と云われる。
ウズベキスタンメロンの産地
学校前に塩が噴き出しているのが見える
この辺りは天然ガスの埋蔵量が多く、精錬所やガスパイプの敷設工事が砂漠で行われている。主にロシアへの供給らしい。
昼食は幹線道路の簡素なチャイハナ(喫茶店)でブハラの宿で造られたランチボックスで済ます。
トイレは青空トイレで2〜3時間毎にバスを停めて、隠れやすい場所を探して用をする。
宿はヒヴァ・イチャンカラ(内城)は西門の前で観光に至便な所だ。まだ明るいので、宿の見晴らし台から内城を眺め、また、暮れてから内城の中へも入って、少しの時間を楽しんだ。
ヒヴァ内城のライトアップ
バスはキジルクム(赤い砂漠)を走り抜け600キロを11時間以上掛けてブハラからヒヴァへ向かう。砂漠と云うより、土漠か礫漠と云うべきか、季節によってはブハラを土色にする砂嵐を惹き起す荒漠とした平原が続く。50cm程で刈られた蘆の植え込みが砂嵐による土の移動を防ぐためにどこまでも長々と植えられている。蘆の根は3mも伸びて地面を動かさないから砂嵐による地滑りを防ぐのだと聞く。
韓国の援助で出来た道路を走り、日本の援助でのアム・ダリア(川)の橋梁などを渡り、交通路もこの数年で著しく良化している様だ。
アム・ダリア(川)の橋上から
大きな観光バスが珍しいのか、町を通過する時には、手を振ってくれる。また、バザールや立派なカレッジの建物など国造りが隅々へ進んでいるのが見える。