早春のウズベキスタン(2014年3月)

中央アジアのウズべキスタンは二重内陸国、即ち、隣接している5カ国全ても内陸国なのだ。
 ふたつの国境を越えないと海へは出られない。スイスとオーストリアに挟まれたリヒテンシュタインも同様だが、日本よりも大きな面積を持つウズベキスタンは正に希有の存在だ。
 面積は45万平方キロ、人口は約3000万人を有する大国なのだ。

 機内満席の11時間は耐えられたが、タシケント空港の荷物受け取りに2時間半以上も掛かった。タラップを使って飛行機から下りたので、空港ビルからは離れた場所に機体は置かれているのだろうが、余りにも集荷が遅い。
 可なり待ってから、先ずはウズベクの商人が韓国で買ったと思われる段ボール箱が次々と出て来る。通関用紙に荷物の数を書き入れる欄もあり、この国特有の何かがあるのかも知れない。添乗員の話では、いつもこんな状況らしい。入国時の持ち込み外貨の記入も40年前のタンザニア時代以来の体験だった。

シルクロード交易の要衝として様々な人々が行き交う文明の十字路だ。

古くはアレキサンダー大王がこの地にまで入り、チンギスハンには徹底的に破壊されたが、チムール朝で復興を果たした。チムール朝の衰退と共に北からウズベキ人が入り、16世紀にはウズベク三ハン(ブハラ、ヒヴァ、コーカンド)の鼎立となった。

 しかし、19世紀にロシア帝国が征服し、その後、ソビエト連邦に組みいれられた。1991年のソ連崩壊によって、現在のウズベキスタン共和国として独立を果たした。独立からカリモフ大統領が今も国を率いている。

宿泊証明書

雁帰る二重内陸国の空

いま一つの初経験は、出入国管理が滞在中の宿泊証明書を求めた事だった。宿ではパスポートを預けられて、翌朝、証明書が貼られている。何でこんな手間を掛けるのかが疑問。ソ連時代の名残か、はたまた、アフガニスタンなどからのテロリストの行動を抑える為か?
 初めて知るシステムがあり、面白い旅の予感がする。


 タシケント市内のホテルで就寝したのは深夜12時近くだった。(日本との時差は4時間遅れ)

今回もS社企画の21名(内男性は7名)のツアー。成田からソウルのインチョン空港を経由してウズベキスタンの首都タシケントへアシアナ航空で向う。
 インチョンを飛び立ってから暫くは黄砂を含んだ霞が棚引いている。この季節は黄色が主体な極東アジアなんだと、黄海や黄河などの名前もよく分かる。PM2.5も混じっているのだろう。

「その後のサファリ」のTOP       back              next       HOME

黄砂降る黄河黄海黄色人       機の下に地球の皺や残る雪

初日(3月21日)