727日(6日目):ロンドン連泊

フリーメイスンの経営するパブにて

内廊は王墓踏むなり夏微光

勲章を足に引き摺る甲虫

雷鳴るやフリーメイスン本部ビル

ゴキブリが出たとロンドン大ニュース

ロンドンの三越閉店夏終る

バスの車窓から土曜日のロンドン市内観光。ロンドン塔、タワーブリッジ、ビッグベン等は車中から眺め、リージェント・パーク、バッキンガム宮殿と大英博物館はバスから降りて見学する。
 週末なので、観光客がやたらに多い。また、同じ制服の小中学生の団体が列を作って引率されている。東洋人だけでなく、欧州からも夏休みを利用したプログラムが多いのだろう。

夕食はロンドン名物のパブ。このパブの近くにフリーメイソンの総本部ビルが建っていた。バスを下りてパブに向かう時に急に雷雨になり、飛び込んだそのパブのオーナーもフリーメイスン会員との事だった。ここの料理も美味くない。

リージェント・パークにて

今回のバス旅行で感心したのは、エディンバラからこの日のロンドンまで女性のドライバーが独りきりで車を運転した事だった。
 我々の荷物の積み下ろし、夜間の洗車や給油など全てを独りで行った。それでいて、とても優しく思いやりのある人だった。
 別れる時に、その素晴しい仕事振りを感謝して、チップは思いきり弾んだ。

週末のピカデリー・サーカス

観光の最後に、買い物時間として、ピカデリィー・サーカス近くで一時間程の自由時間があった。近くにはロンドン三越が閉店の準備をしていた。それにしても都会は疲れる。

教会を出て、、一般開放されている城内の23部屋を巡る。1990年代の火災に遭った客間や接見の間などが修復されて往時の輝きが再現されている。この費用の捻出で英国王室は財政的に厳しい状況におかれ、バッキンガム宮殿やウィンザー城の一部を一般開放して費用の補填にしているらしい。

ウィンザー城への道

 かつては国王や女王と血縁関係にあるヨーロッパの王族や貴族などに授与されていた。その中には菊の紋章もあり、明治天皇が東アジアの国の元首として初めて贈られて以降、歴代の天皇が授与されている。但し、昭和天皇は叙勲後の第二次大戦で敵国となったために、騎士団名簿から抹殺され、バーナーも撤去された。しかし1971年に英国訪問時に復帰した。非キリスト教国の外国君主では、かつてのオスマントルコ皇帝、エチオピアのハイレ・セラッシェ皇帝なども叙勲されたが、今は日本の天皇のみなのだ。2013年現在で、外国人の保持者はデンマーク、スペイン、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、ルクセンブルグの王の6名が叙勲されている。いずれも、かつて姻戚関係などがあった王室と思われるのだが、でも、日本の天皇が何でガーター騎士団なのだろうか?

 城内のセントジョージ教会(14世紀築)には王たちが埋葬されている。その王の墓石が教会の床石になっているのが、何とも理解しがたい。強大なヘンリー8世の墓も我々の歩くルートに置かれていた。この礼拝堂の大広間はイングランドで最も権威のあるガーター勲章を受けた名門騎士団の紋章旗が飾られている。(内部は写真撮影が禁止されているので、ここをクリックして下さい)

 午後は一時間程バスに乗って、ロンドンから西へ45キロのウィンザー城の観光へ向かう。イングランド王朝の開祖、ノルマンディー公(ウィリアム一世)が要塞として建て、その後、時々の王によって、建物の追加と改築され、王家の居城となった。1992年に大火災に見舞われ、その修復費用を王室が賄うこととして、入場料の収益金があてがわれている。

セントジョージ教会

大英博物館は入場無料なので、人気のロセッタ・ストーンなどでは混雑が激しい。スリも多いとガイド注意を喚起する。冗談に「盗人の様に世界から集めた博物館には盗人も多い」とも言って笑いを誘う。「ここに集めなければ散逸してしまったかもしれない」とも話していた。エジプト、メソポッタミア、ギリシャ文明などを見るだけだが、その膨大なコレクションは素晴しい。

雑誌の記事にあった英国王室の系譜

帰国して目に鮮やかな青田かな

蜘蛛の囲や王家の系図に穴もあり

バッキンガム宮殿前の広場

ウィンザー城内にて

72829日(7〜8日目)

ローカルガイドは在ロンドン23年の日本人女性で中々に面白い話を聞かせてくれる。「今年は蚊が出た、ゴキブリが出た、など今までに無かった事が起きている。地球温暖化の影響か?」などと話していた。そう云えば、ここは虫の少ない北辺の国なのだ。

トラファルガー広場の雄鶏像

今年は女王即位60周年で、バッキンガム宮殿前のビクトリア女王の座す広場は、王子誕生もあって華やかな雰囲気が漂う。宮殿内も一般開放をしているが、我々は外から眺めるだけだった。

空港の売店で、王子誕生の特集雑誌が並べられている。その内の一冊を記念に購入した。帰国便の席は正に最悪の最後部の中央列。雑誌や映画などを観て時間を過ごしていたが、その内、隣席の日本人少年と話した。彼の話によると、厳しい選抜を抜けての一カ月の留学が叶ったとか、スマホの残した寮での写真を我々に見せながら、楽しかった一カ月の話をしてくれた。未だ15歳で日本人が唯ひとりの学校へ挑戦してきた頼もしい若者と会話を楽しみながら愉快な時間を持つ事が出来たのは何よりだった。

城の中央に建つランド・タワーには英国旗が飾られ、この日、女王は不在らしい。滞在中は王家の旗が掲揚される。それでも、象徴的な黒熊皮の帽子を被った若い近衛兵が汗を流しながら護衛の任に付いている。城塞からは、かの有名な全寮制私学のイートン校が見えた。好天での自由な城内観光で何よりだった。

トラファルガー広場に「青い雄鶏」の巨像が見えた。この2日前に建てられたものだ。ナポレオンの率いる艦隊を破ったトラファルガー海戦の記念の広場は市民の憩いの場だが、この雄鶏は敵国フランスの象徴でもあるとかで、物議を醸し出している様だ。フランスのサッカーチームのユニフォームにも「青い雄鶏」のエンブレムが付いている。ドイツ人作者は知らなかったと云ってはいるが、どうするのだろう?

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 午後の帰国便なので、近くの公園でゆっくりとした朝の散歩を楽しむ。日曜日なのでどこも閑散としている。