723日(2日目):エジンバラ泊

世界遺産に登録されているスコットランドの首都エジンバラには2連泊。徹夜した後の朝寝がたっぷり出来た感じだ。西に向かう旅行では時差の疲れが少ないのが有難い。朝食前に王子誕生の報が一面に載っている地元紙を記念に手に入れた。予想に反して男子誕生だった。

カールトン・ヒルの未完の「戦没者記念碑」と「ネルソン記念塔」

この日は地元ガイドが付いて、世界遺産の古都エジンバラの観光に費やす。雨雲が西から東へ向かうとの予報通りに、朝から雨が降ったり止んだりの生憎の天気だ。

夏霧や無音の古都の塔あまた

聖堂にガラス絵ひとつ晩夏光

パブ「ワールド・エンド」百日草飾る

石壁を背にバグパイプ虹二重

自治に継ぎ独り立かや花いばら

夏旅や先ず王宮へコウノトリ

昼食後は天気が一気に回復した。すると一変して明るさが街に戻って来た。

市内の公園を案内され、国立スコットランド美術館へ向かう。英国の美術館の常設展は全て無料。しかも、僅かな例外を除いて撮影も許されている。ここで、ツアーは自由時間となる。ラファエロやレンブラントなど欧州の巨匠の絵画がずらりと並ぶ。ガイドに見る様に薦められた日本人に人気の大きなフェルメール作品『マルタとマリアの家のキリスト』も良かったが、ゴッホやピカソの作品も印象深かった。何よりも人が少ないので、落ち着いて鑑賞できる。

本降りになる前にと、先ずはカールトン・ヒルへバスを降りて歩く。町を一望できる丘なのだが、雨催いで、近くの街並しか展望できない。晴れた日には町のむこうに北海も見えるらしい。丘の頂上部にはいくつかのモニュメントが立っている。中にアテネのパルテノン神殿を模したナポレオン戦争戦没記念碑が柱だけのままで立っている。予算不足であえなく中止となり、未完成のまま晒された建物は「エジンバラの阿呆」とも呼ばれているとか・・・雷も伴って雨が降り始めたので、急いで丘を下ってバスに乗り込む。

ホリドールハウス宮殿の裏の修道院と剥き出しの墓石

エジンバラ城にて

歴史遺産の多いロイヤル・マイルと名付けられた道をバスの中でガイドの説明を聴きながら回る。
多くの観光バスが交通渋滞を起こすほどで、レンタカーではとても運転できそうもない。また、駐車するのも難事なので、パック旅行の有難さも理解できる。

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に立つバグパイプの兵隊

王子誕生を報じるスコットランド紙

スコット・モニュメント

バスで宿に戻って、夕食時間までの自由時間を使って、近くのホリルードハウス宮殿を訪ねる。一週間前にはエリザベスニ世も滞在した英国王室の宮殿として今も使われている。60歳以上のシニアは10ポンド参観料。日本語のオーディオガイドで観光できる仕組みになっている。

歴代のスコットランド王が埋葬されているホリルード修道院や王室の園遊会が行われる広々とした庭も廻れる。宮殿の調度品や敷物がなんとも貧しい。歴代の王の墓も野ざらしの踏み放題だ。エリザベス一世と張り合った悲劇のメアリー女王の居城だったからなのか、穿った見方もしてしまう。宮殿の前にはスコットランドの国会があるが、既に閉館していた。

美術館を出て晴れ上がった公園を散策する。ひときわ目立つゴシック様式の塔が、スコットランドを代表する文豪スコットのモニュメントで高さが61mもある記念碑だ。すぐ横にアフリカ探検のリヴィングストン像もある。
 プリンセス通り沿いにはスカート兵のバグパイプが哀調を帯びた曲を演奏している。イングランドに敗れた、しかし、失われない誇りが込められているのだろう。

その城下となる旧市街はかつては城壁に囲まれ、市民たちは狭い環境下で生活を強いられたと云う。いまでも、地下にまでそんな住居があり、狭さと暗さと空気の悪さから寿命も短かった。新たに見つかったそんな抜け道がバス乗り場までの観光コースに組み込まれていた。

小説『ジキル博士とハイド氏』のモデルは18世紀半ばこの町の市会議員だったとか、天気模様もあり暗い雰囲気の街だ。

エジンバラ城へ入る。予め団体チケットを手配されていて、個人旅行者の長い列を横目に入場する。これもパック旅行のメリットだ。

ここは城が建てられる前からキャッスル・ロックと云われ、天然の要塞だった。その後、幾たびの戦闘と破壊を経て増改築が繰り返された。エジンバラの街を見下ろす様に聳える城だが、この日は曇ってさっぱり見通しが効かない。

王宮内にはスコットランドがイングランドに併合される鍵となるジェイムス6世(イングランド王ジェイムス1世)が生まれた部屋や、三種の宝器(王冠・剣・王笏)が展示されている。現在残されている最古の建物は12世紀初頭に建てられたノルマン様式の小さな礼拝堂で、この城の主たちの祈りの拠り所だった。