6日目:1026日<ダニーデン→モエラキ・ボルダー→オアマル→レイク・テカポ>

 ダニーデンに多いスコティッシュ建築の聖堂や議事堂などが見られる市の中心部を散歩する。いずれも1900年前後に建てられた。この町は急な坂が多い。地図を見ながらゆっくり朝の時間を歩いた。海が近いからか風が冷たい。

ダニーデン駅舎(内装は見事なモザイク)

由緒あるオタゴ男子校

ビール工場の水を汲む町の人

スカートはキルトや春の女子校生

光る風抜けるモザイク駅舎かな

 車は1号線から83号線へ入りエレファント・ロックを探す。映画『ナルニア国物語』の撮影場所とか。83号線沿いにVanished Worldの看板を見つけるも、そんなエレファント・ロックの表示はない。大きな農園から偶然、車で出てきた老夫婦に聞いたが、矢張り行きすぎた様だ。戻って側道へ入る。奇岩はいくつもあり、エレファント・ロック風なのだが・・・・・。大草原の奇岩をそう信じて83号線へ戻り、先へ進んだ。(後日、グーグルマップで調べたら一本入る側道を間違えた)

羊らの駘蕩う戦のロケ地址

 ペンギン営巣地はしっかりと管理されている。日中は海へ出払っているため、穴に残った雛をガラス越しに観るだけだ。小型なブルー・ペンギンの種類とか、日没頃には海から戻り、巣まで歩く姿を観る立派な観覧席がある。以前にみたタスマニアのフェアリー・ペンギンも日没後だった。それまでは待てないので、先へ進む。

ペンギンの巣立ちし海のうねりかな

卵石割れ春潮に身を晒す

億年をかけてまあるくのどけしや

 ダニーデンを出て一号線を80キロ北上し、モエラキ・ボルダーへ行く。ここには写真の様な直径1〜2mの卵石が波に洗われている。
 マリオ伝説では「沈んだ大カヌーから流れ出た食糧」と語られているとか、科学的には6〜7000年前に作られた亀甲石の凝固と説明がある。海底の化石や骨の欠片の周囲に結晶化したカルシウムなどが付着して400万年ほど掛けて形成されたらしい。
 1500万年前に海底が隆起し、この様な形で残った。中には割れているものもあったが、亀の甲羅のような立体的な結晶で形成されているのが分かる。海岸へ出て、実際に触れたり、割れた卵の中を覗いたりしてきた。

丘ひとつ男子校なり白さくら

 車を出して、少し遠く丘のオタゴ男子高校を外から眺める。
1884年に建てられた伝統高だ。
 また、昨日は内部に入れなかった、ダニーデンの駅舎の中に入って、モザイク調タイル張りの床と二階の回廊が美しく装飾された内部を見る。

 昨日訪ねたファースト教会は長老派、そして、この朝は英国国教の大聖堂の内部を見た。双方ともネオ・ゴシック様式で、内部はすっきりとして簡素だ。ステンドグラスには宗教画だけでなく、この町から戦没者追悼も描かれている。

 NZの宗教は、2006年の調査によれば、英国国教(14%)、カトリック(13%)、長老派(10%)、他で、無回答または無宗教(38%)との由、それぞれのキリスト教宗派がこの町に祈りの場をもっている。

営巣地近くの標識

エレファント・ロック付近の奇岩

 町中にビール工場があり、そこで使う良質の湧き水の一部を市民に提供している。見ていれば、ひっきりなしに町民が来て、大きなボトルに水を詰めている。我々も小さなペットボトルの水を詰め替えた。

 レイク・テカポは好天率が高く、周辺に町が無いので、澄んだ夜空が見える。星を観るためだけのツアーがあるほどで、その夜空を世界遺産に登録する試みもあるそうだ。この日は十三夜の前日で星を観るのには明るすぎ、且つ、雲も少し出ていた。

 夕食は日本食の「湖畔亭」で名物のサーモン丼を楽しむ。久し振りの酢飯と地元のサーモンが絶妙な味を作っている。ここでは最も人気のレストランらしい。

 この日も昨日と同様に約300キロの移動だった。

 83号線から8号線へ入り、NZの最高峰マウント・クックを望めるプカキ湖で休憩する。正面の最高峰には雲がかかっているが、天気は回復に向かっている。プカキ湖畔のこの絶景ポイントは三回も来ることになった。一休みして宿泊するレイク・テカポへ入った。この素泊まりの宿は啓子さんから予約してもらった。

 次にオアマルの町中を通り、ペンギン営巣地へ向かう。オアマルは良質な石灰岩(オアマル・ストーン)が産出され、建材として使われる。この町の19世紀後半の教会や郵便局など、由緒ある建造物に使われている。ダニーデンのファースト教会にも使われた。

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モエラキ・ボルダーにて