<聖母出現の礼拝堂>
<バシリカ:この内部に奇跡を目撃した二人の墓がある>
<2007年完成の聖三位一体教会には多くの信者が集まっていた>
<お礼参りの信者たち>
<廃れた館に素晴しいアズレージョを見つけた>
<魚↑と惣菜↓>
<デパ地下の食材:生ハムの売場>
<エドゥアルド七世公園から遠くにテージョ川を望む>
公園の左右には熱帯植物園などもあり、市民の憩いの場なのだろう。早朝なので並んた屋台小屋はどれも閉まっていたが、気持ち良い散策だった。
そんな中で、うらびれた館の見事なアズレージョは印象的だった。
ゲルマンの白磁に蝿を追う男 雲海の破れし底に村ひとつ
早苗田に機影を映す成田かな
出迎えのドラーバーにリスボン空港へ送ってもらい、空路はミュンヘンでの乗り換えもスムースに空席の多い飛行機で無事に成田へ帰った。疲れたが満足度の高い旅だった。
行く春や崩れ館のアズレージョ
首都望む丘はなだらか春祭
植栽に春の花無し幾何模様
8−9日目: 4月30日<リスボン→ミュンヘン→成田>
<駆ける給仕・仕切るマスター・車海老>
ビールもて席待つ人気の海鮮屋
異教徒のわれ風船の心地して
膝進の信者の続く春驟雨
出現礼拝堂のマリア像の周りには多くの信者が集まり、また、雨の中を膝を折って歩む信者たち、それに、巡礼が絶えないバシリカと、多くの人が祈っている2007年に完成した三位一体教会・・・祈りと信仰の敬虔な姿なのだ。
寒村でしかなかった、ここファティマに聖母マリアの奇跡が起きた。1917年5月13日、3人の羊飼いの子供の前に現れた女性は三つの秘密を語った。第一次大戦の終了や、第二次大戦の予言などが的中し、多くの群衆が異様な体験をした事実から、法王庁はこれらを聖母マリアの奇跡とし、ファティマは聖地となり、大聖堂が建てられた。
聖母の予言通りに亡くなった羊飼いの二人の子供は聖人に列せられた。ただ、1960年まで口外を許されなかった第三の秘密は、その余りの内容に、これを見た法王が卒倒したとか、未だに法王庁の奥に封印されていると言われる。この秘密を直接に伝えられた少女ルジアは我々が訪ねたコインブラの新サンタ・クララ修道院で神に仕えていたが、2005年に90歳を越えて亡くなった。
朝の時間を使って、タクシーでエドゥアルド七世公園の北端へ行く。
1902年に英国のエドワード七世がリスボンを訪問した記念のフランス式庭園で、その一番高い北端からは、リスボンを大震災から復興させたポンバル侯爵の像を真中にテージョ川まで遠く町全体を望める。名前と由来から、歴史的に英国との繋がりが強いのがわかる。
ポルトガルの旅の最後の夕食は、またファドの店を期待したが、どこも満席で予約が取れない。ホテルの案内嬢のお薦めで海鮮料理店へ行く。ここは予約を取らないシステムとかで、些か不安だった。
タクシーを降りたら、既に店の前には人が立ち並び、中もぎゅうぎゅう詰めの状況だ。店の戸の中に滑りこんで、順番をマスターに告げ、ラッシュアワーに揉まれるような詰まったまった状況で20分位を待つ。地元で有名な店らしくテーブルはどれも満席で、ひとつ空く都度にマスターが次の待ち客を席に付けてくれる。
我々の席は横に食材のガラスケースがあって、指し示す事も出来た。それと、メニューは<I−pad>を使って注文を取っていたのが面白い。待ち客と食事する人、それに給仕たちがみんな忙しい、しかし味は最高に良かった。喧騒の中で、海老と貝の料理をここでも白ワインで最後のリスボンの食事を楽しんだ。
全ての旅程を終えて、リスボンへ戻る。
途中、デパートに寄って貰い、地下の食料品売場を眺め見て、ウナギの稚魚の缶詰を買う。生ハムにもいろいろと種類があって客の要請に応じて、台に設えた燻製の脚を肉屋が上手に削いで行くのが印象的だった。魚屋の棚も見た事のないヒラメモドキがあった。
生鮮食料品の売場はその地方の特長が見えて楽しい。