7日目: 429日<オビドス→アルコパサ→バターリャ→ファティマ→リスボン>

<朝食に出た元祖カステ〜ラ>

<美味な葉の巻かないキャベツ>

 ポサーダの朝食は、地元のチーズやカステラなどもあり、とても美味しい。ゆっくりと朝食を楽しんで、宿をチェックアウトして、オビドスの通りを端から端まで戻る。城門近くには朝市もあって、この地では当たり前な葉の巻かない地元キャベツも売られていた。

<シュコダのパトカー>

<無名戦士の墓>

<ジョアン一世の回廊:左右の十字架はエンリケ航海王子の紋章>


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<バターリャ修道院ジョアン一世の像>

<精緻な彫刻を施した美女イネスの石棺>

<簡素な堂内>

 次に、バターリャ修道院へ行く。ペドロ一世を継いだフェルナンデス一世の死後、王位継承をもくろむ隣国カスティリア王(ファン一世)は大軍を率いてポルトガルに攻め込んだ。独立を守るためにジョアン一世は聖母マリアに祈願して勝利をとげ、この正式名「勝利の聖母マリア修道院」を建てた。
 
建築はゴチック・マヌエル様式で、隙間なく精緻を極める装飾は見ごたえがある。特に、ジョアン一世の回廊には石のレースの様に繊細な狭間飾りが素晴しい。

 中に「参事会室」と柱のない大きな部屋に、第一次大戦とアフリカ植民地戦争で命を落した無名戦士の墓が置かれて、二人の兵士が守っている。

 第二次大戦は中立国だったために、戦没者はここには祀られていない。

回廊に噴水あれど鎮もりぬ

 1334年、アフォンソ4世のペドロ王子は隣国カスティリアから迎えた妃に同行してきた美貌の侍女イネスに恋に落ちた。王子の不倫相手のイネスの殺害が王の指図で行われ、王子は反乱を起こすなど反発を王に対して強めるも、母、王女のとりなしで和解する。王が死んで、王子が即位すると、手を下した殺害者たちを捕えて自らの手で殺し、更に、イネスの遺体を掘り起こし化粧を施し着飾って玉座に座らせた。居並ぶ重臣たちにひざまづかせ、その手に接吻をさせて忠誠を誓わせた。
 ペドロは己の死後、神からの審判が下って起き上がる時、最初にイネスの顔を見える様な足を向き合わせた柩の配置を執拗に求めたと云う。半身起き上がれば確かに二人は目を合わせる事が出来る、そんな配置に二つの棺が置かれている。

 この城下町にチェコ製のシュコダ車のパトカーが駐車していた。昨年のドイツ旅行でシュコダの普及ぶりにも驚いたが、ここではパトカーにまで使われている。日本には入ってきていないが、性能も素晴しいのだろう。

<修道院の一隅で>

シネラリア中立国に戦死なし

飾りなき身廊もよし聖五月

向かい合う王冠ふたつ春キャベツ

 この日の最初の訪問地はシトー修道会の総本山とも言うべきアルコバサへ。初代ポルトガル王のアフォンソ・エンリケスが、レコンキスタに協力したシトー修道会に感謝して、この教会を1223年に完成させた。シトー修道会は質素と倹約を旨として、肉体労働を自らに課す厳格な修道会で、教会の内部は飾りも無い簡素な空間だが、精緻な彫刻を施した大理石の柩がふたつ、足を向き合うように置かれている。 ポルトガルの悲恋物語の主人公、美貌のイネスとペドロ王子の石棺だ。

<アルコバサ修道院>

 バターリャでガイドのお薦めで地元の肉の煮込みを白ワインで楽しみ、次のファティマへ向かう。再び、天気が崩れ始めて雨の聖地訪問となった。