3日目: 425日<ポルト市内観光→コイブランカ>

 この日は革命記念日としてポルトガルの祝祭日。1974年の425日に40年も続いたサラザールから続く独裁政権を無血革命で倒した。革命軍兵士たちは銃口にカーネーションの花を挿した事から、「カーネーション革命」とも、「リスボンの春」言われる。これは植民地戦争(アンゴラ・モザンビーク・ギニアビザウ)が大きな負担となり、経済的にヨーロッパの中で大いに立ち遅れ、それに危機感を持った軍人によるクーデターでもあった。

 天気予報が当たって、かなり強い雨のポルトをガイドに任せて巡る。短い時間だったので、見どころのグレゴリス教会やボルサ宮も車窓から見るに留めた。路面電車や坂の石畳がレトロな雰囲気を醸し出している。旧市街はポルト歴史地区として世界遺産に登録された。天気が良く、今少し時間が取れたら好きになってしまう街だと思う。

 ポルトは北ポルトガル(ミーニョ地方)の最大の都市で、この国の商工業の中心として栄えて来た。ローマ帝国時代、首都ブルガとローマを結ぶ拠点となる。その時代にこの町はカレと呼ばれ、カレの港「ポルト・カレ」がこの国の名ポルトガルになったとか・・・・

 もうひとつ、この町を支えたのが、ポートワインだ。ドウロ川南岸にはいくつものワイナリーがある。この川の上流のブドウ栽培地では原料となるブドウ液を造るだけで、熟成と瓶詰め、そして、販売は下流のポルトで行う。その輸送にラベーロと呼ばれる掛け舟が担っていた。

<雨のポルトを車窓から↑↓>

<サン・ベント駅構内のアズレージョ>

 次はポルト市街を見渡せる丘に建つ大聖堂に入る。12世紀に要塞として建てられたが、ロマネスク様式の聖堂に、後にバロック様式の外廊を付け加えて大聖堂とした。雨は土砂降りに近く、重たい雨雲の下に古い街並みが烟っている。大聖堂内に入り、そこからアズレージョの回廊や宝物展示を見た。

 大航海時代の後の経済的苦境をこのワインの輸出で支えた。英国が主な輸出先で、ポルトガルは見返りとして、英国産の毛織物や工業製品などを大量に輸入し、対英貿易収支は赤字が続いた。これを補ったのがブラジルからの金で、最終的にこの金で英国の金本位制が確立したと云う。


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漁村いま避暑地となりてモニュメント    戦絵のタイル涼しき駅舎かな       

五月近し羽なき天使降り来る        遠雷や大聖堂のペロリーニョ
 

薄暑光眠り続けるワイン樽         信長も愛でしワインや暮の春

アフリカもブラジルも失せカーネーション     革命日とて王国の春惜しむ

<アルハンブラ宮殿を模した部屋もあるブルサ宮>

 大聖堂から車でドウロ川の対岸に集まるワイン工場へ向かう。雨は少し小ぶりになってはきたが、車での移動が良かった。
 工場は<GRAHAMS>のブランドでドウロ川を望む高台にあり、工場見学の後は試飲させる工程だ。我々三人にもエスコートが付いて、日本語の紹介映像を使い、樽が眠る倉庫を案内してくれた。最後に、葡萄棚の下にドウロ川を望む一番見晴らしが良い場所で試飲させてくれた。
 ポートワインについて、それまで、殆ど無知だったが、葡萄の熟成の期間によって何種類も名前あると知った。我々に出された試飲ワインは熟成が10年以上のヴィンテージ、それより若いトウニーが2種類だった。
 ワイン工場を出る頃には雨も上がって、対岸のポルト市街が美しい。

 最初に車を止めたのは、ポルトのサン・ベント駅だ。20世紀初頭、修道院の跡地に建てられたポルトの玄関口で、見事なアズレージョが駅の内面を飾っている。いずれもポルトガルの歴史的な出来事で、セウタ攻略のエンリケ航海王子などを描いた迫力ある戦絵が多い。

<ポートワインの試飲ホールからドウロ川とドン・ルイス一世橋を望む>

 15世紀に活躍したエンリケ航海王子はここで生まれ、彼の指揮のもと、ポルトを出港した船で北アフリカのセウタを攻めた落した。これが、大航海時代の先鞭となり、インド航路の開拓、アジアからの香辛料、ブラジルの領有とポルトガル全盛時代の始まりとなった。

<大聖堂からポルトの町:中央の柱はペロリーニョ(罪人さらし柱)>

<大聖堂の宝物殿に展示の司祭の法衣>

<ドウロ川南岸のワイン工場越しにポルトの市街を望む>

 14世紀のペスト大流行で、貴族や地主は恐怖にかられ、寄進先を王家から教会や修道院へかえた。財源を求めて王家は大航海時代へ突入するも、植民地から集めた金は結局は寄進されて教会は益々豊かになった。そんな象徴的な構図がポルトの町並みや、大聖堂の宝物から見えて来る。