3日目 : 10月7日 (オアフ島巡りー2)

 この日はオアフ島の北部へ向かう観光バスに、前日と同じ7名で乗り込む。

 先ずはマカデミア・ナッツ農園を訪れた。オーストラリア原産のマカデミア・ナッツは1885年にハワイに紹介されるや、またたく間にこの州の重要産品になった。木材は家具として使われるが、ナッツの方が利を生み易いらしい。切り立った山を背にナッツ農園事業の半分は土産屋としても営んでいるようだ。

 ここから、オアフ島の内陸に入る。

 この島は、東にコオラウ山地、西にワイアアエ山脈の高地があり、その間の平地を南北に道路が走っている。左右はDOLEのパイナップル畑が広がっている。以前はデルモンテの畑だったと不確かな記憶があるが、今は全てDOLE社の畑だ。その中にパイナップルに因んだ娯楽施設を持っている。


 パイナップル畑を走る機関車「パイナップル・エクスプレス」には乗れなかったが、絞りたてのジュースを飲むなどして、気分良い時間を過ごした。

砂糖工場を改造した石鹸工場

ノースショアーにて

 オアフ島のノースショアーには人は少ないが、世界のサーファーが憧れる波が打ち寄せる海岸線がつづく。ハレイワの入口でMackys Shrimpと云う食堂で昼食を摂る。バスを改造した厨房と広場に並べたベンチだけだが、人気があるらしく列を作っていた。タンザニアで食べたシュリンプ・ピリピリに似ている味だ。

 ライエ海岸からカフクの農園直売場に立ち寄る。バナナやドラゴンフルーツな色鮮やかに並べられて、田舎の雰囲気が溢れている。ココナッツのジュースなども飲ませてくれる。明るい農村と云ったところか。基地が近いのか低空で軍用機が飛んでいた。

 農園からオアフ島の東海岸線を北上する。どこも溶岩が海へ落ち込み、火山島の面影を強く残している。日本語の津波の様に、火山活動に関するハワイ語が幾つか世界共通語となっていると、今日もムームーを着たガイドの説明。例えば、流れている熔岩、乾いた熔岩などをそれぞれ違う言葉で言い表せるのだ。それだけ、火山との付き合いは深かったのだろう。

棄てられて野生化した鶏

 ワイキキに戻ったら、道路を挟んだ前のホテルでデモが行われている。整然とはしているがホテル従業員の待遇改善を求めたデモのようだ。のんびりとした観光客と、同じ道をデモの行列と、なんともワイキキには似つかわしくない。

マッキー海老食堂

ドールのパイナップル畑にて

「その後のサファリ」のTOP        back              next            HOME


末枯れのパイン畑へ汽車逝けり 

秋天や島に真っ黄な消防車

南国や月下美人の実は竜に

色鳥やモルモン教の街白し

色鳥を遊ばせハワイのナッツ割る

ライエ海岸と白い花

 ハイワレの街ではスーパーマーケットに入った。地元に密着したマーケットはどこに行っても何かの発見があるものだ。ここでは日系人の多いのか、寿司のパックが多く売られていた。

 モルモン教徒の多い街、ライエの海岸も素晴しい景観を見せてくれた。目の前の小島の穴は津波で開けられたと言う。海岸には丸い白花を付けた植物が這うように溶岩にへばりついている。

農園直売所・ドラゴンフルーツは月下美人の果実なのだ

椰子の実を抱え色なき浜の風

 次はサトウキビ工場跡地の石鹸工場の訪問。長い間、経済を支えたサトウキビ産業はコスト高のために次々と撤廃し、この工場も100年間の稼働の末に1996年に閉鎖された。

 オーナーはその工場を改造して、天然のオイルで作る石鹸工場を興した。マンゴやシナモンなど、また、ハワイの花やフルーツの香りを閉じ込めた石鹸が売られている。出来たての石鹸には刻印して楽しむ事もできる。これもオアフの癒しかもしれない。