ハワイ・オワフ島<気軽が魅力の観光地>

宿は結婚式を挙げるモアナ・サーフライダー・リゾートホテル。このホテルは1901年開業のワイキキ最古のホテルで、その優美な建物から「ワイキキのファーストレディー」と呼ばれ、ハワイ観光を引っ張って来た。

 早速、5人でワイキキの街へ出る。先ずは履き易いCROCSのビーチサンダルを買い求め、素足で街を歩く。眩しい陽光と乾いた海風が心地よい。

 丁度、昼食の時間なので、近くのInternational Market Place内のテラスで、それぞれ好きな物をプラスチック箱に買って食べる。一日遅れて時差が5時間早いので徹夜の朝食と云った感じだ。若者は肉料理を、私はカリフォルニア巻き(アボガドと蟹棒の海苔巻き)と、ペットボトルのお茶。

 ホテルに戻りプライベートビーチで水遊びする。砂鉄の混じった湘南の黒砂と違って、白い浜が出来ている。出来ているとは、かつては湿地帯だったワイキキへ白砂で埋め立ててビーチに仕立てたそうだ。気温は30度近い。しかし、湿度が少なく、気持ち良い風だ。渚の近くでは浮き輪で、少し沖ではサーファーで、更に遠くにはヨットや観光船で、思い思いのレジャーを楽しんでいる。

 休憩後にアラモアナショッピングセンターへ買い物にでる。巡回している無料のバスが20分ほどで運んでくれた。買い物はそれぞれ目指すところが違うために、家族別に、時には男女別に分かれて大きなモールを巡る。我が家は日本では購入し難いサプリメントなどを買う。女性達はブランド物の値段を睨みながら楽しんでいた。米国ブランドのCoachのバッグを求めたようだ。殆ど日本語が通じ、値段も日本円に換算すると相当に安い。更に、「当地限定デザイン」の言葉にも女性は弱い。夕食はモール内のオープンテラスで肉などを食べる。「ハワイの食事は、味よりも量を求めるべし」とか、半端でない量が出る。テラスではアルコールを出す事は法律で禁じられている。

 移動も含めて長い一日だった。ホテルに戻って爆睡する。

はじめに

 タンザニア生まれの次男がハワイで挙式した。それに併せ、ワイキキのモアナ・サーフライダー・リゾートホテルへ滞在した。今回はここを基点として、オワフ島巡りをした。式の参加者は、本人達をよく知る人のみだから、ハワイの気候の様にリラックスした雰囲気で行われたのが良かった。

 ハワイは観光で何回か訪問しているが、その爽やかな風と美しい海や山の魅力は忘れえない。活火山のハワイ島、渓谷のマウイ島、雨のカウアイ島、どこも魅力あふれる観光地だ。以前はレンタカーで廻ったが、今回は説明付き現地ツアーで、オアフ島に絞って巡った。

ワイキキビーチに立つハワイの英雄・水を征服したデューク・カハナモク

<オアフ島巡り>

1日目 : 105日 (ホノルルへ)

 小田原家族の3人と我々の5人が全く同じ旅程にした。小田原から、藤沢から、車で成田へ向かい、駐車場で合流した。そこから、空港へは送迎サービスがある。初めての成田駐車だが、荷物がそのまま積めて便利、しかも他の交通利用より安いので、これからも使えそうだ。

 21:15発のデルタ航空は満席、小田原組と藤沢組は離れた席で、機内での接触は出来なかったが、孫はおとなしく過ごした様だ。他にも小さな子供連れも結構乗っていた。

同日の朝10時前にホノルル着。入国、通関手続きが済めば、大手の日本の旅行社別にツアー客は仕切られ、専用の車でベルトコンベアのように、市内の旅行社のデポに連れて行ってくれる。そのデポで、希望に合わせた、ツアーや要望を入れてくれる。我々は、連絡用に携帯電話を二台と、孫用のバギー車を借りた。後は何もしなくても良い。鞄は別な輸送で、既に部屋には到着していた。日本の旅行社と現地のホテルの見事な連携プレイだ。成田、羽田、関空や名古屋から毎日15便以上が飛来するのだから、こんな形に進化したのだろう。以前体験した個人旅行では、全て旅行カバンと子供らを携えて動いたのだが、正にハワイ観光は便利になったと実感した。

 因みに、ハワイを訪れる観光客数では、米国本土からが一番多く、日本は二番目だったが、最近は中国に抜かれたとガイドの話。それでも、毎日5000人ほどの観光客が日本からハワイを訪れ、このハワイ州での最大の収入源となって、観光収入に貢献しているのだ。ハワイ州へ旅行者の落す金額では、日本人は本土からの旅行者の3倍らしい。

長き夜を短く過ごしはいハワイ

爽やかにワイキキの砂踏む足裏

大食いはハワイのならい親子芋

波乗りをおえて振り向く秋落暉


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