ドイツ一周<駆け足パック>

ツアー用の席は狭く満席、辛い12時間強を機内に閉じ込められてフランクフルトへ到着した。入国審査のゲートで隠れるように並んでいた美女、高名なモデルらしい。お付きに荷物を任せて、外へ出て行った。ツアーの我々は全員の荷物が集まり、添乗員が人数確認して、空港からバスで郊外のホテルへ直行した。現地時間の午後7時はまだ明るい。

早速に外へ出て、全国チェーンらしい近くのスパーマーケットを覗く。何となく品数は少ない。それでも、数週間前に食中毒でロシアが輸入禁止したキュウリなどの野菜は並べてある。もう解決したのだろう。エコバッグが当たり前なのか、プラスチック袋は有料(10セント)だった。この時間、その他の店は全て閉じている。

「地球の歩き方」にある、名物「リンゴ酒」を求め、少しぶらつき、「ある」と言うバーに入る。二人してカウンターに座って、早速、注文したが、余り美味くない。現地でもそれ程飲まれず、バーテンはこの注文には少し驚いた様子だ。「ニュールンベルグ・ソーセージ」も注文した。これは結構な量だったが、風味があって気に入った。「美味い!」と褒めると、バーテンも気安くなって、あれこれ話しかけて来る。「そうか、いま東京から着いたのか!」とか言いながら、現地のビールと自慢のカクテル(スィミング・プール)を作ってタダで飲ませてくれた。

ホテルの部屋から通りを挟んでケバブ屋が見える。トルコで食べたのと同じだ。店前にドイツとトルコの国旗が並んでいる。流行っているらしく、手軽に焼肉を挟んで立ち食いして行く客が多い。

ドイツにはトルコ系の移民は200万人を越えて在留外国人では最も高い。1960年代のベルリンの壁以降、低賃金の東独労働者が不足した西ドイツと、失業率が高く出稼ぎ労働を斡旋したトルコとの利害の一致から、ドイツ国内でのトルコ系人口が増えたらしい。出稼ぎ後もトルコへの帰国より、社会保障の優れたドイツに住み続け、家族を呼び寄せる者も多く、二世、三世も生まれている。東西ドイツの統一後は旧東独から労働力が戻ったために、トルコ人の排斥などを訴える極右グループも現れて、難しい問題となっているようだ。

この日は、7時間の時差もあって爆睡した。

<リンゴ酒を見せるバーテンとトルコのケバブ屋>

蟷螂の顔を隠して越境す          泳ぎたきほどのカクテル瑠璃の色


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はじめに

 1977年、タンザニアからの帰任旅行でフランクフルトからライン川下りとハイデルブルグを家族4人で歩いた。

1980年代後半、ハンブルグ、ハノーバーなど幾つかの都市に出張したが、これは観光ではない。

2005年にミュンヘンを、トルコ旅行のトランジットの時間利用で街中心だけを訪れた。

 一寸した時間で廻るツアーを見つけ、これまでスポット的だったドイツの概念を繋ぎ合わせてくれるかも知れないと期待して、ドイツだけを巡る「旅物語」に参加した。
 実に、総勢28名のツアーとしては大きなグループだ。

1日目 : 6月24日  (東京→フランクフルト)