1026日(ペリン → カリンポン)

 朝6時前、少し寝過ごした。時差が無くなり、現地時間に慣れてきたのかも知れない。薄明かりの窓のカーテンを開けると目の前にヒマラヤの夜明けが始まっていた。中央にカンジチェンジュンガを金色に朝の曙光が反射している。可なり近くに見える。急いで、着替えてホテルの庭に出て、明けゆくヒマラヤ山塊を眺めた。晴れあがった空へ、白き名峰は神々しさすら感じられる。

戒壇の活仏(ダライ・ラマ14世)

次の宿泊地のカリンポン(標高1247m)へ向かう。山が崩れ、水が溢れている道も四駆車は駈け抜ける。一度、谷へ下って、シッキム州からの出境手続きを済ませて、西ベンガル州へ戻った。車は少し良くなった登り道を走ってカリンポンでの次の宿泊ホテルに着いた。ここで、昼食を摂って、午後の観光に入る。

立体の曼陀羅界へ登高す

色鳥や王都の丘の祈祷址

色のなき風や古城の五色旗

ゲルク派(黄帽派)の僧院タルパ・チョリン

 ペマヤンツェ僧院から眼下に見えるラブデンツエ(1670年から1814年までのシッキム王国の旧都)へ移動する。1キロ程の遊歩道が出来て、森林浴をしながら遺跡までの小径を歩く。ここには王宮や寺院の礎石が残るだけだが、観光整備を進めている。篭を担いだ女性たちが、草花を植えて王宮跡を公園化していた。ここでは陽気なマレーシアからの観光客と会った。

朝食を済ませて、9時半にホテルを出発する。向かったペリン郊外の古刹ペマヤンツェ僧院は1705年に創設で、古くより格式を持つニンマ派寺院だ。堂内は写真撮影禁止。寺の3階へ登れば、7段式の立体曼陀羅が納めてあり、鮮やかな彩色で細微な世界を作っている。普段は近くには入れないが、他の人が居ないからか、我々は入れてもらえた。これには、K氏は大感激で、初めての体験と言っていた。

ヒマラヤへ雲を掃き寄す花芒

名峰へ点る曙光や露の窓

国王も歩いた散策路からヒマラヤを望む↓

ペリンの宿からカンチェンジュンガの朝

 ここも朝露で庭のテラスも草も濡れそぼっている。少し丸みの欠けた月は今朝も健在だ。
 空が青み、2000メートル級の山々に貼りついた家々に日が届く頃には、万年雪を頂く5000メートル級以上の山はどれも白銀に耀いている。別荘ホテルの庭は傾斜地になっている。小さいが、手入れが行き届いた散策路があり、無風快晴の朝を、山を背景に鳥や花を楽しみながらの時間は最高の贅沢な気分だ。

次に、現ダライ・ラマ14世が宗主のゲルク派(黄帽派)の僧院タルパ・チョリンを案内してもらう。1937年の建立だから比較的新しい。ここは堂内での撮影が許されている。内部は色彩豊かに壁も天井も極楽、地獄図が描かれている。金色の仏陀や十一面観音の他に高僧の像も祀られている。
 勤行の行われる最も高い戒壇には額入りのダライ・ラマ14世の写真が置かれる。活仏写真だ。K氏の話では、前世の地位によって、転生化身の戒壇の高さが異なり、ダライ・ラマはその頂点に位置するとの事。

叱られる少年僧や竹の春


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英国風のホテル・シルバーオークス

宿泊先はシルバーオークスと云う。1930年代の英国はビクトリア朝の雰囲気を漂わせている快適なホテルだ。極楽鳥花やブーゲンビリアなどが咲く英国風の庭は建物の下へ丘を下る様に出来ている。K氏がチェックインしている間、ロビーで寛ぐ我々の首に歓迎ショールとチェリー・ブランデーを供される。

幼い僧たちが遊びまわっている庭からは、夕暮れのカリンポンの町が一望できる。カリンポンは1706年にブータンの侵入を受けて占領された。1865年にイギリス軍が奪回したが、街全体にブータン的な色濃く残っているらしいが、その違いが私には分からない。

シッキムの旧王都ラブデンツェ遺跡

古刹ペマヤンツェ僧院と本堂の入口の壁画

 最初はサボテンの収集家の家。ビニールハウスに沢山のサボテンが育っているが、アリゾナなどを見ているので、規模が小さ過ぎて興味なし。

戒壇に活仏写真秋日濃し