5月24日PM

 スプリットを出発し、ドブロヴニク方面へ南下する。概ね130キロの行程だ。途中、名物の鱒料理の昼食を取る。ツアーだから、全員同じで、飲み物だけを別勘定で支払う。水も別料金なら、ビールかワインになる。食後はバスで心地よく眠れるのはツアーの気楽さだ。
 
 出発してからはアドレア海に沿ったくねくねとした道が続く。ディナル・アルプスの岩肌が僅かな緑を乗せてアドレア海へ落ち込んでいる。そんな道から少し内陸に入った小高い丘でバチンスカ湖を望む。このフォト停車もバス・ドライバーの粋な計らいだ。石灰岩の丘陵だからこそ見える青い湖面なのだろう。この地下には鍾乳洞も有るのかも知れない。

薄切りのトマト異国に挟まれて

逃水の国境検問また検問

島際を燃やし尽くすや夕焼け空

糸杉と黒曜石の墓地は灼け

 クロアチアはここで分断されているのだ。二か所の国境には兵士がドライバーに尋ねる、形だけとは言え、簡単なチェックをしなければならない。その僅かな隙間にネウムの町があり、街道沿いにスーパーマーケットがある。クロアチアに比べて物価が安いため、トイレ休憩を兼ねた観光客だけでなく、クロアチア人も買い物に来るそうだ。日用品、土産、食料品、酒、野菜などが並んでいた。通貨はクロアチアのクーナでもユーロでも受け取ってくれる。「迂回する橋をクロアチアは計画しているらしい」と運転手の弁。

 ネウムでの休憩の後、再度、国境を越えてクロアチアへ入国する。目指すドヴロヴニク旧市街の手前の港には大型クルーズ船が停泊していた。バスはそこでも写真ストップ。
 我々の宿は旧市街から少し離れた半島のホテルだった。部屋からも食堂からも素晴しいアドリア海の景色が眺められた。

ディナル・アルプスを走る道路とアドレア海

 丘陵を下り、耕作されたネウム川のデルタ地帯を走り、再びアドレア海沿いの道になる。

 途中にネウムと云う小さな町がある。この町はボスニアの領土なのだ。9キロほどボスニアがここに海岸線を持っている。従ってクロアチアとしては、ここで国を分断されているのだ。

 ウィキペディアによれば、「1718年に結ばれたパッサロヴィッツ条約(ポジャレヴァツ条約)の結果ダルマチアのほぼ全域はヴェネツィア共和国領と定められたが、ヴェネツィアとオスマン帝国の保護国であったラグーザ(ドブロヴニク、都市国家状態)との紛争を防ぐため、ネウムは両者の緩衝地帯としてオスマン帝国領となった。この時引かれた国境線が、主体となる国家が変遷しつつも現在まで引き継がれている。」と云う事になる。

蛇皮を脱ぎ国境を渡りけり

ボスニア側の検問詰所

アドレア海の夕日


バチンスカ湖

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ドヴロヴニク港と新市街