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 トロギールの町は城壁に囲まれ狭い島の中に守られている。
その起源はギリシャの植民地時代にもさかのぼるが、13〜15世紀に発展し、島の外れの要塞は15世紀にダルマチア地方を支配下としたヴェネツィア統治下に修復された。外敵だけでなく、苛烈な支配に反乱する地元のトロギール市民からヴェネツィア人を守ることも目的とした。

次に、20キロ程東へ移動して、アドレア海沿岸では最大の町スプリットへ行く。人口19万人のクロアチア第二の都市でもある。

トロギールの要塞と子供達

 4世紀初頭に、ダルマチアの解放奴隷からローマ皇帝にまで上りつめたディアクレティアヌス帝が晩年を過ごした宮殿がある。キリスト教徒を迫害したこの皇帝の死後、町は荒廃したが、その後、7世紀に西ローマ帝国の属州だったダルマチアの人々がこの宮殿に定住し、ここを州都とした。

グルグール・ニンスキの像

 朝市の立つ広場にバスは駐車し、運河を渡って北門から旧市街へ入る。狭い石畳の道にぎっしりと石の家が詰まっている。300メートル程で旧市街を抜けて、島のアドレア海側の南門に到達する。南側は船着場として、また市民の公園として利用されている。クロアチアの国旗が掲げられ要塞が島の南西端に見える。

カフェ立つや中世広場の大日傘

夏時間へ直さぬままの時計塔


 大聖堂と広場を囲むように15世紀に建てられた市庁舎があり、今も使っている。
 その横に時計塔と、公開裁判が行われたバルコニーの建物がある。海洋都市として、貿易の公正を期する秤をもったマリアのレリーフがバルコニーの一面に彫られている。

 一時間の自由時間に、大聖堂の鐘楼へ登る。ここはディアクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の聖堂となった。赤い屋根のトロギールの町、クルージング船の航行するアドレア海が晴れた空の下に耀いていた。

広場に向かい合う聖ロヴロ大聖堂と公開裁判所のある時計塔

 城壁の一角に重厚なカメルレンゴの砦がある。ヴェネツィア支配に反乱する地元ダルマチア住人の反乱から守るために為政者のヴェネツィア人が15世紀に作ったとされる。体育の時間なのか、その要塞への石畳を男女の生徒が一斉に走っている。

 門を入ると、ローマ時代の宮殿を基礎に建てられた町の様子が、銀行や店舗の床石からも見てとれる。宮殿の地下には巨大な空間が広がって、かつてはワイン倉庫やゴミ捨て場にもなったが、今は土産物屋が並ぶ観光通路になっている。地上と同じ作りであることから、宮殿の設計プランを知る事が出来る。


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アカペラの響く古城や涼しかり

聖堂はかつて霊廟夏の草

 アドレア海に接する、215×180メートルの矩形の宮殿をそのまま町とし、今でも銀行や店舗もローマ時代の石床を残したままである。不便そうでもあるが、古き物を残そうとする町の気概を感じる。

ローマ時代のディアクレティアヌス帝の宮殿復元図

皇帝の私邸の前庭(玄関)でのコーラス

宮殿の地下

大聖堂の鐘楼から町の景観:アドレア海側(上)とディナル・アルプス側(下)

 旧市街に戻り、中央広場へ向かう。ここにはトロギールを代表する13世紀に建立の聖ロヴロ大聖堂がある。聖堂の三層の鐘楼は、それぞれの層にロマネスク、ゴシック、ルネッサンスの様式の窓を持つ。正面扉のキリストの生涯を描いた彫刻はダルマチア地方の巨匠ラドヴァンが製作し、中世クロアチアの傑作とされる。

 我々は山側の「金の門」から入った。入口にはグルグール・ニンスキの巨大像が立ち、その親指に触ると幸運が得られと云われている。そこはつるつるに光っていた。