12月6日
ホテル前のサッカリン通りは街のメインストリートでもあり、僧が托鉢へ出発する寺、ワットセーンのすぐ側でもあった。
明け方の6時前に托鉢僧を見学するために、通りに出た。人は少ないが、既に歩道には敷物に喜捨するための蒸したうるち米を入れた篭が等間隔に置かれていた。敬虔な信徒が準備をしたのだろう。遠くからトゥクトゥクに乗って来る信徒もいる。6時半前には喜捨する人たちが次第に集まって、歩道に座り始める。 喜捨は女性が多く左肩からタスキを掛けている。喜捨物を売る人も現れ、私もみかんを買った。間もなく、寺から橙色の衣を着た托鉢僧が列を作って現れた。次から次へと百人以上の、少年から老年の僧まで丸い金属の鉢を肩から吊るし長い列を作って進む。喜捨は基本的に座って行う。蒸し米だけでなく、バナナやみかんなど、そして蓮の花を奉げるグループもある。鉢に一杯になった喜捨された物は所々に集められ、纏めて寺へ持ち帰る手順もありそうだ。無口な列は延々10分も続き渡り、その後も別な寺からの僧が時折過ぎて行った。この托鉢風景は毎日欠かさず続いているのだ。
プーシー山よりナムカーン川とルアンバパーンの町
次は18世紀に完成に約50年間を要して建立したワット・マイ寺院。ルアンパバーンの町の中で最も大きく、華やかな雰囲気をもった寺院である。本堂の5重に重なった屋根は、ルアンパバーンの伝統的な建築様式であり、本堂の壁には仏教の輪廻が描かれた黄金のレリーフが見事だ。
次は、かつての王宮だった建物を利用した国立博物館へ行く。無血革命とは云え、1975年のパテトラオ(現政権)がルアンパバーンを掌握すると、王族は北部に送られた。その王宮は博物館として開放された。博物館の内部は王の執務や接見の部屋など靴を脱いで見学する。
小春日や破風まで及ぶ黄金の木
敬虔な仏教徒の多い、隣国タイからの観光客は遍路も兼ねてか、仏像の前で丁寧な礼拝を奉げているのが印象的だ。
遠慮めき托鉢を撮る避寒客
王宮後の博物館と、1909年に王宮を建てたシーサワンフォン王
冬蜘蛛や地獄絵を解く修行僧
托鉢へ冬も裸足の長き列
金箔の釈迦の生涯冬日燦
夜咄やラオス訛りのニッポン語
勤行の僧と焚き火を守る僧
椰子伸びる道一本の古都の冬
むしろ、一望できたナムカーン川と世界遺産ルアンバパーンの静かな町の佇まいは印象的だった。
ワットタートルアンの懺悔堂
引き続いて、ワット・ヴィスム寺院は1513年に木造建築として建立されたが、中国・雲南のホー族に侵略で破壊され、19世紀末にコンクリートでスイカの様な形で再建された。同じ境内に1514年建立のワット・タートルアン寺院も併せて見学した。裏にある懺悔堂には地獄・極楽の絵が壁一杯に書かれていて、仏教の教えが書かれている。修業僧の懺悔は1月に行われる。
ワットマイ寺院の正面壁画
世界遺産ルアンバパーンのシンボル、ワットシェントーン寺院の正面と背面の壁画
王宮の開け放たれて日向ぼこ
先ず、この町の至宝、ワット・シェントーン寺院へ向かう。1560年、セーターティラート王によって建立され、その大きく湾曲した屋根の特徴から「ルアンパバーン様式」と称され、優美さはラオス随一と云われている。ここで財をなした塩商人を讃えて、彼の住んだ場所に、この寺を建てたとの言い伝えが残る。精緻を尽くした寺院建物、ユニークな仏教説話のモザイク壁、1960年の王の霊柩車など見るべきもの多い。
みかんもて喜捨の並びに加わりぬ
ワットセーン寺院からの托鉢僧の列
夕暮れの町をレストランへ行く途中、読経の調べに誘われて近所の寺に立ちよれば、夕方の勤行の最中で、堂内に唱和の響きが心地よい。そう云えば、どのラーオ族ガイドも、多かれ少なかれ、どこかの寺院で修業し、朝の托鉢も経験したと話していた。
夕の勤行
店頭の虎に挿し歯や冬うらら
下山はナーガ(蛇神)の手すりが続く別の道を下る。所々に釈迦成道から釈迦涅槃までを物語る金色の仏像が建てられて、深い仏教との関わりを感じる。
昼食をゆっくり取って、ルアンパバーンを一望できるプーシーと云う小高い山へ行く。その頂上には1804年に建てられた金色の仏塔があり、街のあちこちから眺める事ができる。高さ150mを328段の石段を登るだけだが、ここからの夕日がすばらしいとの評判で、既に、大勢の観光客が眺めの良い場所にカメラを持って陣取っている。メコン川と支流のナム・カーン川に挟まれて、ルアンパバーンの町並みが静かな佇まいを見せている。そして日没。狭い山頂に鈴なりに集まった人が西へ向かって視線とカメラを向ける。素晴しいとの前評判だったが、南部チャムパーサックのメコン川の夕日の方が良かったと思う。
喜捨の作物を売る女性
そんな列が通った脇のオープンテラスでハイセンスな朝食を楽しみ、予約してあった送迎ミニバスでルアンパバーンの観光へ出る。この町は1353年にファーグム王によって首都とされ、ラーンサーン王国の中心として栄えた。その後も王朝の象徴として、1975年の建国まで王宮が置かれた。そして、市街地全体が1995年に世界文化遺産として登録された。
王宮を出て、暫らく200メートル程の細い路上マーケットを歩く。食料品売り場が殆どで、地べたの敷物に様々な物を並べている。新鮮な野菜や果物、肉や卵や魚やら、その加工品など・・・以前にビエンチャンで見た蟻の卵は無かったが、川海苔が売られていた。