ワート・シームアンは女性の参拝者が多い↓
ワット・シ−サケットの仏たち↑ ブッダパーク↓
そこから、パリの凱旋門を模して作られたパトゥーサイへ歩く。もともとは戦没者の慰霊碑として1960年に建設がはじまったが、今も未完成らしい。下から見上げた天井にはラオスの典型的なモチーフ、神々や三つの頭を持つ聖象などのレリーフがある。98年に来た時に比べて、凱旋門周辺は市民の憩いの広い噴水公園になっていた。建国記念日を祝う市民と観光客で賑わっている。噴水は中国の援助と記したプレートがある。ホテルへの帰路にガイドが気を利かせて絹機織り工場へ向かったが、この日は休業だ。
夕食はホテル近くのナンプ広場へ歩きイタリア料理店に飛び込む。ここも美味しい。この広場には他にも欧州スタイルのレストランが多い。
次はタートルアンへ向う。ラオス仏教の最高の寺院で、ラオスの象徴でもある。伝承では3世紀頃インドからの使いの一行がブッダの胸骨を納めるために建立したと伝えられるが、定かではない。その後、1566年にセタティラート王により、四方を四つの寺院に囲まれる形で再建されたが、現在は北と南の寺院が残るのみ。北の寺院、ワットタートルアンヌアはラオス仏教界最高位の僧侶の住まいである。入口前の広場で篭鳥を売る少年に出会った。寄進して放鳥すれば、観光客は功徳を施したとされる。早速に2ドルで二羽の鳥を逃がしてやった。逃げた鳥は少年の家に戻るように馴らされていると云う人もいたが、どうだろう?
次に、ミニバスで一時間程で郊外のブッダ・パークへ行く。20世紀に宗教家が私財を投じていくつもの奇妙な形のコンクリの仏像を配した広場。正式名称は「ワット・シェンクアン」という寺院であるが、宗教活動は行われていない。仏教説話の主人公やヒンズーの神もいる。観光客の好奇心は満たしてくれるが、手入れ無しでは、コンクリ仏は暫らくして崩れてしいそうだ。地獄、現生、天上界の三界(階)を登って展望台の屋上からユニークな姿の仏が置かれた公園を俯瞰できる。
次に、王宮寺院だったワット・プラケオへ徒歩で向かう。1560年にラーサーン王朝の首都をルアンバパーンからビエンチャンに移した時、エメラルド仏を安置する目的で建立された。ところが、18,19世紀にシャムの二度にわたる侵入により、寺院は破壊され、エメラルド仏はタイへ持ち去られた。バンコックのワット・プラケーオの玉仏として置かれている。この仏は1500年以上に亘る様々な伝説めいた経緯がある。現在の寺院は20世紀に再建された。
日本からネットで頼んでいた現地会社の英語ガイドがミニバスで迎えに来て、一日観光へ出発する。
最初は19世紀初めに建立されたワット・シーサケット。伽藍の中央にある本堂を回廊が囲む。その回廊とその壁は全て大小さまざまな仏像が置かれている。その数は本堂や他も含めて一万体を越える。その多くは仏米との戦乱による損傷が著しく、南伝仏教独特の尖がった冠が折れてたり、首の無い仏などが多い。
また、丁度この時期、12月上旬に、第25回東南アジアゲーム(11カ国)がラオス国内で開催中でもあった。ホテルの入口には歓迎の象キャラクター人形が置かれているが、盛り上がって騒いでいる様子はない。(←写真)
国旗と党旗が並列に掲げている建物が多いのは、記念日の為か、ゲームの為か、或いは、毎日の事かもしれない。複数政党は可能だが、国会議員は全て共産党員らしい。
ホテル前の目抜き通りの人通りは殆どない。百メートル毎にいる警察は特別の警備とも思えないほど、のんびりしている。ホテルでは客待ちのトゥクトゥクが時間を持て余していた。
12月2日
この日はラオス人民民主共和国の建国記念日。1975年の12月2日に無血革命をもって、王国から共和国として新政府が発足した。ラオスの歴史は14世紀にラーオ族による統一王朝ラーンサ――ン王国から始まる。内陸国として長い間、隣国のタイやカンボジアとの抗争などが続いた。19世紀半ばにフランス保護領となり仏領インドシナに編入された。第二次大戦時の日本支配下で一時、独立宣言をしたが、戦後はフランス連合内のラオス王国として独立したが、右派、中道、左派のパテトラオの三派による内戦が続く。1975年の南ベトナムのサイゴンが陥落すると、三派の駆け引きの中にもパテトラオの主張を大幅に取り入れて王政の廃止を宣言し、ラオス人民民主共和国を樹立した。
2時間遅れの時差なので、日本時間のいつもの様に起きて、早朝の街に出た。天気は上々、気温も20度位でとても気持ちが良い。ここには四季はある。しかし、冬とは云え、ブーゲンビリアやハイビスカスが咲いている。国花のプルメリアも香りを放っている。近くに、建国記念日の何かが見えるかと期待したが、何も無かった。離れて式典もあったのだろうか?