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そんな状況下でも家庭的にはやんちゃだが愛しいふたりの子供と美しい妻に囲まれて、地方のエリートとしての生活はリパキにとっては幸せだった。ただ、悩みは二年毎に行われる警察の人事異動である。せっかく家族が生活に慣れてきても、リパキは一地域に安住は許されないのだ。政府から海外へ派遣されたエリートはその知識と経験を各地に植えつけることが求められている。まだ、彼のような人材はこの国には十人もいないのだ。

しかし、子供が学齢に達してきた。今までは転々として生活を変えられえたとしても、これからも同じような転勤が続くようでは、子供の教育のことを考えると心は暗くなる。地方によってはまだ学校も教師もいない。

そして、彼の心も最近少しずつ変わってきた。英国からの帰国以来、四年間は地方の警察で新しい技術者の育成に努めたが、これ以上のこのサイクルを続けることに飽きてきた。いわゆる、後追いの保守や修理ではなく、自分の今まで培った経験や技術で、何か新規的な、創造的な事をしたいと感じるようになった。

家庭の問題、自分の気持ちの両面から今の仕事への、疑問と悩みを持ちつづけている時に、首都のダルエスサラームの発行日から五日遅れて届いた国内唯一の英字新聞「Daily News」誌に、日本メーカーのラジオの工場技術者の募集広告を見た。

友人技術者:リパキ(その2)

「National」ブランドのラジオについてはリパキは良く知っていた。数年前に貧しい外貨を使って輸入された「National」ラジオを購入して使っているので、品質の良さは分かっている。しかし、この数年はオランダの「Phillips」社がアリューシャでラジオの生産を開始したために、完成品としてのラジオの輸入は完全に止まっており、国中、この「Phillips」ラジオしか見られなくなっている。このタンザニア国産のラジオの品質が今ひとつで、故障が多い。生産も需要に追いつけない。更に、競争が無いために、故障修理などの顧客サービス面で不満が溢れていて、それが、新聞の第一面にまで書かれたりしていた。

国土面積87万平方km(日本の2倍以上)、人口1500万人のこの国には、点在する部落や町を結ぶものは無い。たった二本の鉄道と、それに並行する幹線道路はいずれも外国の援助の産物である。それら鉄道や幹線道路を外れると赤土の地道で、雨季になれば川になってしまう。この時期、部落は完全に孤立する。3−5月、そして12月はそんな雨季である。

首都ダルエスサラームにあるラジオ・タンザニアの放送はこれら寸断されている部落への唯一の情報手段である。
ニュースが、大統領の演説が、時には国中を沸かせるフットボールの実況が、電波という最も安易な触媒を通じて、国中へ飛んでゆく。

情報を何よりも待っている部落へ、一方的ではあるがこの放送に対しては、若い独立国として強い力を注いでいる。部落では数少ないラジオの周りに人が集まって中央からの放送を聴いている。

リパキと生産したラジオ>

150もの部族の集合体である国造りは、先ず統一言語を広めることであった。数キロ離れた隣の村の人同士が相通じなかった一昔ではあったが、今はスワヒリ語が国の公用語として採用され、最も重要な教育課目として広めなければならない。
放送は重要な国造り手段なのだ。もちろん、他にも政府の様々な教宣活動が放送に使われている。

放送は短波放送のみである。テレビ、FM放送はもとより、中波放送もない。広い国土を、中継局もなしで電波を届かすには、電離層の反射を利用しての短波放送である。
放送時間は日に10時間程のスワヒリ語放送のみである。タンザニアのラジオの受信機は170万台で、約9人に一台の普及である。これからはラジオが普及する。

リパキはそんな風に思って、日本企業の技術者募集の広告に応募するための手紙を書いた。