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エッセイ:友人技術者リパキ(その1)

彼の履歴である。

生年:1942年、少数民族のムロンゴ族出身、回教徒

1967年:タンガ工業高校電気科を卒業、同年、結婚する

同年:タンザニア警察省へ入省、入省後直ぐに英国へ技術訓練生として一年間渡英

1968年:帰国後、アリューシャ警察署へ配属

1969年:ドドマへ転属

1971年:ソンゲア県警で技術官主査を拝命

1972年:ダルエスサラーム、松下電器タンザニア・ラジオ工場へ入社

1974年:同工場の製造部長

1997年:松下電器を退社

以降は自ら技術学校の運営をしながら、後進の教育に携わる

いつもの様にバナナ畑の中を通じる小径を、少し冷え込んだ緑の葉を払いながら歩きついたタンザニア警察省、ソンゲア警察無線局がリパキの仕事場である。

官の建物だけあって、バナナ畑に散らばる一般の竹を組んで赤土を塗った家々とは異なり、レンガ造りで屋根には風見鶏のようなアンテナが二つと、中庭には同じくアンテナがこれはしっかりと丸太の柱に括り付けてそそり立って、いかにも無線局であることを誇っている様だ。

<以下はリパキ自身の話である>

リパキはここで技術主査としてソンゲア警察局のすべての無線機械の保守と点検をしている。中に二時間の昼休みを挟んで、朝の九時から夕方の五時までが勤務時間である。

タンガ工業高校の電気科を卒業後、入省して五年で、その間、英国へも留学して今では警察省の技術畑でもベテランに数えられる。

英国から訓練を終えて帰国したときには、待ちかねたように、彼は地方の無線局へ配属され、習得した技術の移転を求められた。キリマンジャロの麓のアリューシャに一年、サバンナのドドマに二年、そして、タンザニアの奥地、ザンビアの国境に近いソンゲアに来て八ヶ月になる。貴重な留学技術者として、そして、貧しいタンザニアの人的財産として、、。

生まれ故郷であるタンガからこのソンゲアへは1500kmも離れている。三年前、アリューシャの時代に親が決めてくれた妻との間に今では二人の子供いて、一緒に生活をしている。

リパキはソンゲア署の管轄のあちらこちらの派出所から持ち込まれる警察無線機の調整や修理をする。

また、時としては、前輪駆動車を駆って、それら派出所へ出向き、この技術トラブルの解決をする。

管轄内の派出所は13ヶ所である。バウバウの樹が剥きだした赤い大地に上下を逆にして根を空へ突き上げたように立っている。そんな間を土埃で黒い肌と縮れた頭髪を白くさせて走る。

車にはドライバー、ニッパー、半田鏝などの簡単な修理道具と、貴重なテスターと、何ヶ月もかけて英国より取り寄せた無線機の破損部品の交換用スペアーパーツを搭載している。タンザニアの警察無線は全て英国メーカーのRACAL社へ発注されている。だから、補修部品も修理マニュアルもRACAL社からのものである。

困るのは故障品の頻発である。従って、修理するための補修用パーツの購入にかなりの貴重な外貨が使われる。治安関連の輸入ライセンスは無条件で認められたが、十分な在庫を持つことは出来ない。
だから、部品が到着までに待たねばならず、機能している数少ない無線機は酷使される。使い方にもよるのだが、当然、不良は増えてくる。

加えて、英国メーカーにとっては、いま、ここで使われている無線機は余りに旧式になってしまい、それらの補修パーツの確保が出来ないこともあり、リパキたちを泣かす。

一方、タンザニア軍でも同じ英国メーカー(RACAL社)の上級機種の通信機を「歩兵ー歩兵」から「連隊ー連隊」間までの通信に使用している。軍用も警察用も防塵、防爆、耐震の頑丈な筐体のものであるが、そのどちらも使用環境が厳しい中で使われるので、さまざまな故障が発生する。そのための修理が追いつかず、補修部品の輸入が増大しすぎた。

とうとう防衛大臣が急遽、「兵は機器を大切に使用せよ。故障した通信機の補修部品に使われる外貨は、農民が汗して収穫した農作物の輸出で得たものである。農民に尽くすべき軍や警察が、これでは本末転倒である」と、ラジオと新聞を通じて訴えた。この防衛大臣はマサイ族出身の英才である

<キリマンジャロホテルのリパキ夫妻>