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エッセイ:上品な服装と下品な服装

1974年だったか、社会主義を標榜するタンザニアの総理府から服装コードは発せられた。欧米などの資本主義社会の流行を追いかける事はまかりならぬと言う訳だ。

主な基準として新聞に写真が示された。それによると、、

下品な服装
・膝を出した女性のミニスカート、
・裾の広がる男女のラッパズボン、
・男性の半ズボン

上品な服装
・膝を隠すロングスカートやカンガ(外に巻く腰巻)
・筒ズボンなど、

この政令が発せられて、それを徹底するために、警察や軍隊などが町で違反している者を人狩りしていた。我々そこに住んでいる外国人は、理不尽とは思いながら、暑い中、街から、カンガを買って腰に巻いたり、ロングスカートやロングズボンを履いたりした。

海外からの観光客も空港でカンガを買わされ、タンザニア国内ではそれを腰に巻いてサファリなどへ行く。最初のうちは、何も知らない外国人は入国時に揉め事が多かったようだ。致し方なく、土産話にカンガのデザインを選んで買い、当時は流行していたミニスカートの上に、それを腰に巻いての人が多かった。

摘発のノルマがあるのか、仕事中の工場に、兵士が十人ほどで、従業員の服装監査に侵入してきた。工場を二交代で稼動していた時で、終業は毎日深夜なのだが、夜の十時ごろだった。

当時、百人ほどの社員が、ベルトコンベアで作業をしていたが、半分以上が女性だった。大方は、蚊に刺されないために、長めの服装であったが、ひとりのミニスカートの女子が連行されていってしまった。この子は二晩、拘束されて釈放されたが、本人はもとより、我々関係者は大変なショックを受けた。

その後、この法令はどうなったのかは知らない。時の首相(カワワ)が変わって、緩やかに廃止されたとの噂は聞いたが、、。

それにしても、そんな通達を広めるメディアも少なく、単なる、都市の跳ね上がりを対象にしたものだろう。

同じ頃に行われた、紙幣を新札への抜き打ち切り替えと共に、苦し紛れの政令が出され、それにより人は右往左往させられる。若い国には良くあることかも知れない。

<これが一般的部落での一般的な女性の服装>

<悪い服装を写真で示す新聞>