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エッセイ:タンザニア国民型ラジオとムニンガ材

1972年当時のタンザニアにはラジオの放送、しかも、短波放送しかなかった。放送局は海岸線に位置する首都のダルエスサラームで、内陸の遠隔地の人たちへの放送短波が適している。テレビは勿論、自国内にFM放送や中波放送も無かった。

フィリップス社のラジオがアリューシャで生産されていたが、我々の工場へも、乾電池の生産に次いで、「National」ラジオの生産を政府より求められた。

77(サバサバ)はタンザニアの独立記念日の7月7日に合わせて、モデル番号をサバサバ・シリースとして、最初の1−バンドのラジオは177とした。そして、当時の宣伝メディアの新聞の広告とブリキの街頭ポスターを使って、七つの特徴を宣伝した。

@7石のトランジスタ
Aアンテナが長く感度が良い 
B音が大きい 
Cソリッドステート 
Dテーブル型で携帯もできる取っ手付 
E虫がキャビネットに入らない 
FスイッチをONにする時にカッチと音がする

<英字新聞への一面広告>

<ムニンガ工場>

このラジオ177は発売して直ぐに大ヒットして、先行フィリップスを追いかけた。

1974年に中波放送を開局した。それに併せて、サバサバシリーズ177の人気を踏襲して、短波と中波放送の受信可能な2−バンドラジオの277の生産した。

ラジオ部品は概ね日本から輸入して、CKD生産をするのだが、外貨不足のタンザニアの政府からは出来るだけ現地部品の調達を求められた。しかし、量産できる産業が殆ど無い。

そこで、ラジオの箱を木製にして、現地で採れる高級木材ムニンガをムクで使った。合板やチップを使う技術は無いので致し方ない。ムニンガは、重いが、硬く歪まず、虫や水にも強い上質な木材として、高級家具や船板などに使われていた。これはタンザニアの地場の木材であるので、外貨の節約からも、この利用は当時の国策にも適った。

しかしながら、量産の経験を持たない、家具工場へ材木からキャビネットまでの生産工程作りにはさまざまな試行錯誤の連続であった。家具工場の木材調達から生産工程作りや見積もりなどをそこの社長と一緒になって、何度も話し合って、作り上げた。それでも、ムクの木材を量産に使った経験の無い、日本の品質管理部門からは、ストップがかかったりもしたが、自分の責任で突っ走った。誰も現地にまで来て止める者は無かった。

こうして、出来上がったラジオは日本が危惧していた、木材品質問題など一つもなく、人気爆発をして、177と共に、フィリップスを追い抜いた。そして、このラジオは、私の帰国後に、タンザニア政府から、国民型ラジオに認定され、大いにこの国の教育や情報伝達の役を果たした。

しかし、何年かして、環境保護のために、このムニンガの伐採は止めた。

<ダルエス下町カリヤコのラジオ店FEZラジオの当社コーナー>