句集「縞馬」:日本のサファリ<2012年(平成24年)―5>

6月にわが家の第二孫が誕生した。里帰り出産とかで、娘が長女と一緒にこの家で過ごした。安産系なのか、直前までモールの買い物をして、その日の午後には病院に入って無事に次女が生まれた。

 20127月:らいらく

私は海外転勤族だったので、三人の子供達には転校の苦労をかけました。三カ国で十五回の引っ越しをして、子供達は義務教育だけで五~七の学校を渡り歩きました。新しい学校で転入生として紹介される時には、いつも注がれる好奇の目で身を竦ませたと言います。
話す言葉だけでなく、国や学校によって異なる教育カリキュラムで、学ぶ頭の方も混乱したとも言っています。親として大いに責任を感じます。
海外子女の中には帰国生として転入しても日本語の立ち遅れで立ち往生する人もいるようですが、幸い、それは避けられました。 
家族も含めた異国での生活には犠牲が伴います。その為に、最近は海外への赴任を断る風潮が多いようです。しかし帰国子女達は、むしろ狭い日本より世界へ飛び立つ希望を持つ若者が多いとも聞きます。

766年に勝道上人が開いた日光は長い歴史の中で、徳川家の庇護によって大いに栄えた。明治初年の神仏分離令によって、二社一寺の形態となったが、ここはまさに日光山としてまとまった歴史文化遺産として、1000円の共通拝観券で主なスポットは全て観光が出来る。外国人観光客もここは外せない日本観光のメッカでもある。

陣痛の分刻みらし五月雨るる   出産に男は無力月見草   生まれこし子に六月の瑞々し

7月の下旬、40年振りに日光を訪れた。藤沢から車で首都高速から東北自動車道から日光・宇都宮道路を順調に走って、先ずは日光山内へ向かった。輪王寺境内に駐車し、そこを起点に、鬱蒼とした夏木立の中に建つ東照宮・二荒山神社・輪王寺の世界遺産をゆっくりと歩く。

曾孫とおお婆

陽明門とその脇にあるオランダ東インド会社寄進の廻燈籠

重厚かつ絢爛の陽明門からは徳川将軍の力の強さを大いに感じる。門の周りの献上物には、往時の技の粋を極めた燈籠、御水舎や手すりなどが置かれ、諸大名などの思いが籠められている。伊達正宗献上の南蛮鉄燈籠は領内の租税3年分もの費用を掛けたとか、オランダの東インド会社からは廻燈籠が逆さ葵紋のまま置かれている。

中禅寺湖畔に宿泊して、翌日は標高1400mの戦場ヶ原を歩く。好天に恵まれ、短い夏を惜しむ様に咲いている草花を見て、高原の風に吹かれながら、のんびりと歩く。小田代ヶ原から戦場ヶ原へ殆どが木道で歩きやすい。男体山も目の前に夏の姿を現し、時間に追われない2時間ほどのハイキングだった。

みどり児の夜泣き朝泣き大昼寝    二児よこに母と小の字夏座敷

珍しい野あやめ

戦場ヶ原から男体山を望む

二時間ほど歩いて、また湯ノ湖や龍頭の滝へ車を廻して自然を満喫し、更に余った時間を使って、中禅寺やイタリア大使館別荘公園などを巡った。残念だったのは、華厳の滝は視界がゼロに近く滝壺から見上げても何も見えなかった。ただ、滝の周りの柱状石に多くの岩燕が見えたのは良かった。

家光の墓所、輪王寺大猷院:唐門を夜叉門から

咲き誇る穂先下野草

中禅寺湖畔のイタリア大使館別荘

虎の尾は群れ貴婦人と言う一樹   林道の影濃きあたり黄釣舟

杖の近づく気配夏木立

日光の百余の社寺へ緑雨かな

夏木立なかにひと際ご神木

ででむしに喧嘩しかける三歳児   絵団扇で初宮詣のあやし撮り   群青の水平線へカンナ燃ゆ

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みどりごの父は宿直梅雨荒れて   親離れする子しない子軽鳧家族

遠雷や木道の子ら早歩き   高原青葉揺らし龍頭を奔る水   猛禽へ群れ立ち向かう岩燕