万緑へへいへいほ〜と口ずさみ
夏蝶のするりと抜けり棘の藪
蜘蛛の囲やフェイスブックの顔写真
ピアノ弾くつど真赤なり金魚玉
紫陽花の玉の三つ四つ路地の角
六月の花嫁ブーケのトス高し
句集「縞馬」:日本のサファリ<2011年(平成23年)―4>
今年の夏は3・11での原発事故による放射能汚染の問題が深刻化している。科学的事情は解らない故に、避難をさせられた多くの福島県人には気の毒としか言いようもない。食物連鎖による汚染も心配され、風評被害も甚大だ。今まで知らなかった、除染、線量、シーベルトなどの言葉が飛び交っている。安心の無い時代だ。
8月には円高記録を更新し、輸出産業は海外脱出へ、空洞化が進みそうだ。
写真は上から:小田原城の菖蒲と紫陽花 奥湯河原・福泉寺にて・自宅の花火
梅雨寒し喪主は名継がぬ三姉妹 真直ぐに茎整える蓮華かな
「がんばろう日本」電気うなぎが群れて来る
紙たもの隅へ隅へと金魚追う がうがうと夜店の裏の発電機
魂送り言葉少なくなりにけり
らいらく7月号
<おぞましい記憶>
国際緊張に日本人が絡むと在外邦人にも緊張が走ります。アフリカ諸国を旅していた1972年、日本赤軍による日本赤軍の岡本公三によるテルアビブ空港乱射事件がありました。昨日まで、丁寧だった空港官吏が、日本人の旅券を提示しただけで、取調室に入れられて、ボディーチェックと持ち物の徹底的な検査を受けました。その時の屈辱感と惨めさは忘れられません。40年も前の事ですが、おぞましい記憶として残っています。
らいらく8月号
<がんばれ東日本と・・>
盛岡の句友が震災直後から陸前高田市へ行きボランティア活動をしている。あれから五カ月になろうとしているが、未だに俳句を作る気分にはならないと言う。今も被災地では句作りなどをする時間と気持ちの余裕が持てないのだ。メール添付で送られてきた写真からは、報道では分かりえない厳しい実態が見える。当面は一日要して家一軒の床下の汚泥を除く作業との事、ご苦労に頭が下がると共に、メール連絡からは元気な様子が見えて何よりだった。
浜防風ありや支援へあらえびす
らいらく9月号
<祝!南スーダン独立>
南スーダンがスーダンから分離して、アフリカで54番目の独立国となった。独立後、主要国で最初に閣僚を両国に送ったのが中国。資源豊かなアフリカ諸国との太いパイプを築く迅速な行動力の一環だ。巷間、アフリカ大陸全体に、日本人の5千人に対して、中国人が200万人入っている。1970年代のタンザニアでは日本人100人に対して、中国人は10万人が鉄道敷設を行っていた。文化大革命時の中国の事情と今は異なるが、日本はノー天気過ぎると感じるのは思い過ごしかな・・。